兄 ヤーコプ Jacob Ludwig Carl 1785. ~1863. 弟 ウィルヘルム Wilhelm Carl 1786. ハーナウ~1859. ベルリン ともにドイツの文献学者,言語学者。 ハイデルベルクのロマン派と密接な関係をもち,A. アルニムや C. ブレンターノに刺激を受け,『』 1812~15 ,『伝説集』 Deutsche Sagen 16~18 を兄弟で出版。 1830年兄は教授,弟は図書館司書,のち教授となったが,同大学の7教授事件に連座して辞職,41年ベルリンに移り,ともにベルリン大学教授となり終生行動をともにした。 38年には膨大な『』 52~1961 の編纂に着手。 また兄のヤーコプは言語学の分野で才能を示し,ヨーロッパ諸言語間における音韻法則,いわゆる「」を発見。 これは,のちの学者により補正されはしたが,『ドイツ文法』 Deutsche Grammatik 4巻,1819~37 ,『ドイツ語史』 Geschichte der deutschen Sprache 48 とともに画期的な。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 … ジョンソン博士の辞書は,収録語彙の選定や定義等において主観的な好悪に左右されることがまれではなかった。 しかし19世紀に入ると,言語の科学的研究の勃興に呼応して,後述するの《ドイツ語辞典》 《》 をはじめとし,辞書編集についても客観性・歴史性が求められることになった。
次の\ U-NEXTなら、31日間は見放題作品140,000本が無料で視聴可能です/ グリム兄弟の一家 グリム兄弟は、 ドイツのハーナウ出身。 裁判官の父、 フィリップ・ヴィルヘルム・グリムと、母、 ドロテーアの間に生まれた。 兄と弟の2人だと思われがちだが、実はグリム兄弟は2人だけではない。 9人兄弟である。 9人のうち3人が生後すぐに亡くなってしまったため、6人兄弟とも言われる。 もともとはハーナウに住んでいたが、1791年に シュタイナウに引っ越している。 その5年後に父フィリップが亡くなってしまったため、一家の経済状況は厳しくなる。 兄弟も多く、貧しい家庭となってしまったのである。 1798年には、グリム兄弟だけで カッセルに住居を移した。 ここから、2人のめざましい活躍が始まっていくのである。 では、グリム兄弟について、それぞれ詳しく見てみよう。 グリム兄弟の兄、ヤーコプ・グリム まず、グリム兄弟の兄のほう、 ヤーコプの生い立ちを見ていこう。 名前:ヤーコプ・グリム• 誕生日:1785年1月4日• 没:1863年9月20日(78歳) グリム一家の次男にあたるのがこのヤーコプ。 長男が幼いころに亡くなったため、実質ヤーコプが長男である。 外見は、 小柄でやせたタイプ。 だが、身体は健康だったらしい。 父親がなくなったのは、ヤーコプが11歳のとき。 責任感の強いヤーコプは、積極的に弟や妹たちの面倒を見ていた。 弟がけっこう病弱だったため、健康的なヤーコプが家計を支えていたのだ。 典型的なお兄さんである。 あまり人前に出ることは好きじゃなく、一度も結婚することなくその生涯を終えている。 理論的に考えることの好きな、頭のいい人物だった。 知的で頭脳明晰だ。 活動に関してもかなり精力的に行っていた。 大学の教授となり、文学者としてだけでなく、 言語学者、そして 法学者としても優秀な成果を残している。 また、ドイツの政治的な活動にもたくさん関わっていて、 1814年のウィーン会議にも参加している。 政治の面でも、かなり活発に動いていたというわけだ。 1848年に教授をやめ、その15年後の1863年に亡くなった。 グリム兄弟の弟、ヴィルヘルム・グリム では次に、弟 ヴィルヘルムの生い立ちを見てみよう。 名前:ヴィルヘルム・グリム• フルネーム:ヴィルヘルム・カール・グリム(Wilhelm Carl Grimm)• 誕生日:1786年2月24日• 没:1859年12月16日(73歳) ヴィルヘルムは、グリム家の三男。 長男が生後すぐに亡くなったので、ヤーコプにつづいて次男となる。 見た目は、ヴィルヘルムのほうが、兄ヤーコプよりも 身長が高く、大柄な感じ。 元気でハンサムな男だったらしい。 だが、あるときから病気がちになってしまって、ヤーコプほど社会で活躍することはなくなってしまった。 身体つきだけ見れば、ヴィルヘルムのほうが元気そうに思えるが、どちらかというとヴィルヘルムのほうが大人しい感じ。 いろいろな活動に突っ走る兄ヤーコプに対して、ヴィルヘルムは 詩的で繊細な感じだったようだ。 音楽や絵の才能もあったらしく、 グリム童話でも話によく手を加えたり、口出ししたりしている。 アートなテイストを担っていたのは弟ヴィルヘルムのほうなのだろう。 また、兄とは違って 社交的だった。 兄が生涯独身を貫いたのに対し、ヴィルヘルムのほうは1825年に、 ドルトヒェン・ヴィルトという女性と結婚している。 昔からの知り合いで、実際グリム兄弟にいくつかのお話を提供していたらしい。 ヴィルヘルムの奥さんであったが、ヤーコプも含めグリム兄弟を支えた重要人物の一人である。 ヴィルヘルムも、ヤーコプと同じく言語学者であり、大学でも教えている。 やめたのは1852年だ。 その生涯は、1859年に幕を閉じている。 グリム兄弟の恩師サヴィニー先生 グリム兄弟はともに、 マールブルク大学に通っていた。 互いに成績が良く、高校を卒業する前に大学へ入学することができた。 兄ヤーコプが1802年、弟ヴィルヘルムが1803年に入学。 弟は1年遅れての入学である。 当時は経済状況も厳しく、また ナポレオン率いるフランス軍がドイツを制圧していた、まさに激動の時代だった。 そんな中、マールブルク大学で出会ったのが、助教授の 「サヴィニー先生」である。 サヴィニーは、グリム兄弟にとってまさに恩師。 歴史のおもしろさを学び、古い文書を読むことの大切さを教えてくれたのがサヴィニーだ。 サヴィニーなしでは、グリム童話は生まれなかったかもしれない。 そしてこのサヴィニーが結婚した相手は、ブレンターノ家の娘。 ブレンターノといえば、このころ超有名だったドイツ・ロマン派詩人の クレメンス・ブレンターノだ。 サヴィニー結婚のおかげで、グリム兄弟もブレンターノと縁ができたのである。 あわせて、ブレンターノと仲がよかったロマン派詩人の アヒム・フォン・アルニムとも縁ができた。 (アルニムの妻ベッティーナは、ブレンターノの妹) そして、アルニムのおかげで、 弟ヴィルヘルムはあの有名な「ゲーテ」にも会っている。 作家たちとの縁を作ってくれたのも、サヴィニー先生というわけである。 『少年と魔法の角笛』からのグリム童話 ブレンターノとアルニムがともに出版した 『少年と魔法の角笛』という民謡集がある。 この第二弾を出版するにあたって、グリム兄弟はブレンターノとアルニムに協力をした。 このことが、のちのグリム童話集の誕生に大きな影響を与えている。 民話を集めて本にするとはどういうことなのかを学んだわけだ。 『少年と魔法の角笛』がきっかけとなり、1806年からは自分たちでも民話を集めるようになる。 そして、 1812年にグリム童話初版が誕生するのである。 グリム兄弟が始めたドイツ語文法 その後、1814年に兄ヤーコプはヘッセン侯国の秘書として 「ウィーン会議」に参加するなど、外交の仕事が忙しくなった。 弟ヴィルヘルムは、一人カッセルで図書館秘書となっていたが、1816年から、グリム兄弟はともに カッセルの図書館で司書として働くことになる。 その頃から、 グリム兄弟はドイツ語の文法研究にも力を入れ始めた。 童話から文法?と思われるかもしれないが、グリム兄弟は 「ドイツ語文法をまとめた第一人者」とも言われるくらいのレベルだ。 兄ヤーコプは 『ドイツ文法』という本も書きあげている。 グリム童話のおかげで 「作家」のイメージがついているかもしれないが、普通に 「言語学者」なのである。 1830年代には、 『ドイツ文法』のつづきを出版しつつ、兄弟ともに ゲッティンゲン大学で教授として働いていた。 だが、 「ゲッティンゲン七教授追放事件」という事件に見まわれ、大学から追い出されてしまう。 グリム兄弟の晩年はドイツ語辞典作り その後1841年からは、2人そろって ベルリン大学で教え始めている。 この頃はもう、グリム兄弟の頭にあるのは 「ドイツ語辞典」である。 グリム兄弟の有名な仕事といえば、グリム童話だけではない。 ヤーコプもヴィルヘルムも、大学で教えながら「ドイツ語辞典」の制作を始めたのだ。 辞書を作るなんて一大事業。 なかなか簡単に終わるものではない。 残念ながら、2人が生きている間には辞書は完成しなかった……。 その後、ドイツ語辞典が完成したのは1961年になってから。 長年の研究が後世に受け継がれ、100年以上かけてようやく完成したのだ。 ドイツ語辞典の編集をやり始めた、グリム兄弟の貢献度は極めて大きいのである。 まとめ 「グリム兄弟」について、その生涯をざっくりと紹介した。 グリム兄弟ってどんな人たちなのか、なんとなくわかっていただけただろうか? グリム童話という、世界で最も読まれている童話集を作った2人の兄弟。 グリム家の兄弟が実は9人だったというのは、意外と知らなかった人も多かったのではないだろうか。 他にも活躍しているグリム家の人たちはもちろんいるが、やはりヤーコプとヴィルヘルムの功績は大きい。 グリム童話はもちろんのこと、ドイツ語文法やドイツ語辞典など、言語学の世界でも大活躍していたのだ。 グリム兄弟が生まれ育ったハーナウにあるマルクト広場には、ヤーコプとヴィルヘルムの銅像も建てられている。 まさに街を代表する2人である。 これをきっかけに、あなたもグリム兄弟に親しみをもって、グリム童話を読んでみてほしい。
次のグリム兄弟の評価 総合評価 キャラクター名 評価点 [走るペン響く声]グリム兄弟(進化) 9. 0点 [童話の守護者]グリム兄弟(闘化) 8. 5点 ランキング評価 最強ランキング [走るペン響く声]グリム兄弟(進化) Sランク [童話の守護者]グリム兄弟(闘化) Aランク グリム兄弟は進化と闘化どっちが強い? 進化がおすすめ 「グリム兄弟」は「 進化」がおすすめです。 進化は相手のキャラ駒数に依存した特殊ダメージを与えるスキルを持ち召喚が多い現環境で強力なフィニッシャーとして活躍できます。 ただ、デッキによってはスキル・コンボスキル共に特殊ダメージの闘化の方が活躍できる場合があるので、 進化・闘化両方作っておくのがおすすめです。 みんなのおすすめの進化先 グリム兄弟の強い点/弱い点 【進化】最大5000の高火力フィニッシャー 「グリム兄弟(進化)」は相手のキャラ駒1枚につき500、最大5000の特殊ダメージを与えるスキルを持っています。 召喚が多用される現環境では非常に高火力なスキルで、バトル中盤〜終盤では3000〜4000ほどのダメージを安定して与えることができます。 【進化】アタッカーをサポートできるコンボ 「グリム兄弟(進化)」は盤面の駒総数が14枚以上でATKが1. 8倍となるコンボスキルを持っています。 スキル自体がバトル終盤に使うものなので、コンボの発動条件はそこまでネックになりません。 「」や「」等の フィニッシャーの火力を上げることができる優秀なコンボスキルと言えます。 発動条件が何もなく、中盤から終盤に使うことが出来れば、 3000超えのダメージも簡単に出すことが出来るので様々なデッキのアタッカーとして活躍が期待できます。 ただ、コスト20のS駒「」と同等の火力なので、わざわざコスト30で使用する性能ではありません。 【闘化】使いやすい高火力特殊コンボ 「グリム兄弟(闘化)」は相手のキャラ駒1枚につき750、最大4000の特殊ダメージを与えるコンボスキルを持っています。 同系統のスキルの中でも1枚当たりのダメージ量が多いため、 フィニッシャーとしても使える高火力のコンボスキルです。 コンボスキル 語られる物語 【効果系統】「バフ」 【最大Lv5】攻撃力アップ:ターン開始時の盤面の駒の総数が14枚以上のときに発動できる。 ATKが1. 8倍になる。
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