イメージ画像:「Thinkstock」より ドヤの一室から多量の覚醒剤と注射器が…… この街のリアルな姿を追う 「覚醒剤が24時間買える街」 「犯罪者が流れ着く街」 として、全国的に知られる大阪市西成区・あいりん地区。 そのあいりん地区にあるドヤ(簡易宿泊所)の一室から、覚醒剤およそ25グラムと多量の注射器が発見されたのは、今年8月のことだった。 大阪府警薬物対策課と西成警察署は2018年4月、別の覚醒剤事件で逮捕されていた男の供述などから6月から8月にかけて内偵調査を行い、西成警察署の裏手にあるドヤを本拠として覚醒剤に密売を行っていたとして、いずれも住所不定・無職の43才と46才の男2人を逮捕した。 この男らは、現役の暴力団組員ではないものの、背後に暴力団関係者がいる可能性が高いとみて、警察では引き続き捜査を続けている。 なぜドヤの一室から多量の覚醒剤が発見されたのか? 地元の事情通A氏に話を聞いた。 (逮捕された)男たちは、ドヤの前の路上で客と交渉した後、客をその部屋に入れて、数分後に客が出ていくというシステムや。 ほかに、その男らがドヤに入って、携帯電話で誰かと連絡した後、封筒を受け渡すいうやり方もあったようやで。 当然、あまり目立って商売できないため、売り上げだけを見ればたかが知れている。 しかし、これを繰り返し売買することによって、多大な利益を生むのだ。 「白ペン」の隠語で呼ばれる白いキャップの注射器 かつて、あいりん地区では、ドヤなどに住む多くの住人が覚醒剤売買に関わっていたと言われる時期があった。 このように、現在はドヤを舞台とした売買が行われる覚醒剤の密売だが、かつてあいりん地区での主な密売方法と言えば路上で行われるのが常だった。 その場所は、それぞれ略称で呼ばれていた。 こういった場所は、たとえ警察によって摘発されても、数時間後にはすぐ売り子や立ちんぼと呼ばれる売人が密売をすぐに始めていたために、覚醒剤中毒者がいつも散見される場所だった。 付近には防犯カメラなどもあったのだが、それでもお構いなしだ。 数年前までは、これらの密売場所で1万円を渡すと、その場で覚醒剤と注射器を渡されるという方式だった。 しかしその後、取り締まりが厳しくなったため、お金を渡すと売り子が何者かに電話をかけ、摘発の目を逃れる場所に移動して渡されるという方式が主流になった。 たとえば、売り子が買った相手に電話番号などを渡して、配達する「デリバリー」などが新たな手法となった。 当サイトでも以前、このデリバリー方式を使った売人たちの逮捕を取り上げている。 (関連記事:) そして冒頭に記した、ドヤの一室に案内するというのも、新しい手法の一つである。 外国人観光客で溢れ返るドヤ、もう覚醒剤の売買には使えない? このように、新たな売買の方法が次々と確立されていくあいりん地区だが、売人にとって徐々に住みにくい場所へと変貌しつつあるのが実態である。 その大きな理由として、徹底した浄化作戦が行われていることが挙げられるが、さらに問題なのが、ドヤの数が減少したからとも言われている。 最盛期の1989(平成元)年頃、この地区一帯には200軒以上ものドヤが立ち並び、身元、素性の分からない人間が多く居住し、出入りもしていた。 それが現在、ドヤの数は90軒以下。 そのため、このようなあやしい売り子らが泊っているドヤは、噂がすぐ広まり特定されるのだ。 そして昔ながらのドヤは今も立ち並んでいるものの、その多くは生活保護者向けの「福祉アパート」という名称に変わりつつある。 ドヤの入居案内。 最近は「福祉アパート」と呼ばれている。 また、インバウンドにより、大阪を訪れる外国人らがドヤを利用しているという事実も見逃せない。 実際、現在のドヤのロビーには外国語のポスターがたくさん貼ってあり、建物内では世界中の様々な言語が飛び交っている。 こうした事実も、覚醒剤の密売にとっては足かせとなっているのだろう。 これら内外の事情が重なり、カオスな街だったあいりん地区の浄化は進んでいる。 今では見られない光景だが、一昔前は路上に多くの売り子が立ち、客は覚醒剤を選び放題だった時期もあった。 泥棒市と呼ばれる闇市では、向精神薬、睡眠薬などを中心に扱う通称「薬局通り」なども存在していた。 デリバリー方式で売買する売り子たちは、今はあいりん地区から場所を変え、近くの大国町や鶴見橋、少し離れた住之江などに拡散して取り引きしているのが現状だ。 日本一高い超高層ビル・あべのハルカスから10分圏内、大阪名物の通天閣から5分というこの地域が、観光客にとって見過ごせない場所になり、街のイメージは変わりつつある。 「西成=覚醒剤」というイメージが払拭されるのも、案外もうすぐなのかもしれない。
次の2016年9月1日から3日まで あいりん地区に滞在してきました。 朝6時にはに到着。 そこからを経由してに7時ごろ到着しました。 まずの電車に乗った時点で、なにやらファンキーでエネルギッシュなオッサンが車内で人前を憚らず 超大声で下品な話をしていたり、チンピラ系ドカタみたいな目の据わった感じの人もフツーに居るので、もーこの時点で大阪の土着的な濃ゆい雰囲気が味わえます。 「官能小説読んでんのか! よしこは イった!もういや ヤメテ!犯された若妻か! お父サマ!そこだけは!こいつ ごッつボッキしよる!」 ちなみにオッサンの会話はこんなでした(笑) 到着する前からカオスな雰囲気を味わいつつに6時50分頃に着きました。 本当は9時に友人と待ち合わせだったのですけど、丸1日遅れる(結局翌日の正午着)と連絡が入り、仕方なく一人で西成をぶらつく事にしました。 を降りると、ドでかい職安所がコンニチワしてくれます。 あいりん地区の玄関口(トレードマーク? )として圧倒されるものがあります。 もうこの時点でディープです(笑) ここから萩之茶屋駅に向かいます。 壁一面のウォールアートです。 一体誰がどーやって何のために描いたのやら… (2018. 10追記:。 残念ながら 写真にある絵は 壁の補強工事によって、 たった2年半程度で消えてしまったようです ) 壁一面のアートを見ているとすぐに南海・萩之茶屋駅に到着しました。 ディープでイイ味を出しています。 ここがある意味最深部の駅では無いのでしょうか? 駅前広告? でしょうか。 どうやったらこんな濃い貼り紙になるんでしょうかねえ。 駅前の交番はガードが堅いことでそこそこ有名ではないかと思われます。 そしてさっそくこのへんをほっつき歩くことにしました。 (7時2分~) (7時4分~) (7時8分~) (8時10分~) ゲロに群がる 平和の象徴・ハト パンの耳・・・ あいりんの人々は小動物を可愛がるのをよく見ますから、 きっと餌をあげちゃうんでしょうね。 のり弁と酒を口でミックスして公園の鳩に向かって吐き出し「餌」っぽいのを与えていたオッサンも通学路に普通に居てましたし、 あいりんの博愛精神や人情を強く感じます。 (上の写真は何故か朝っぱらから一人でぬいぐるみを抱えて歩いていた人) かつてあいりん地区には 萩之茶屋小学校という学校がありましたが今は廃校となったので今あいりん地区にある学校は 小・中学校のみとなります。 この高齢化が進んだこの地区で子供を見かける事は本当に稀ですし、 こういう場所の登下校の風景を一目見ようと学校の方向に向かいました。 小さな子どもはスクールバスだったり家族同伴といった光景も垣間見えます。 撮影当日は9月1日なので子供たちは始業式なのでしょうね。 なんかいー感じの風景だったので夢中になって撮っていました。 なんだか学校周辺は全体的に優しい雰囲気でした。 あいりん労働前にあるでジュースを買うと、をほっつき歩くことにしました。 機の缶ジュースは一本50円が相場 この価格に慣れると、いつもの120円価格が割高に思えてきます(笑) ローソン萩之茶屋一丁目店のトイレに向かうと コンビニのトイレには「注射器を流すな」の貼り紙 あいりん地区に造詣が深い人はご存じと思います。 豪快な路上生活者です。 缶が愛おしい。 2016年になってもカルトな 大阪救霊会館です。 電波系の建物でも、これだけ堂々としてると逆に大丈夫そうな気さえしてきます。 (旧・南霞町停留所) には「深夜 - 未明 - 駅周辺ので発生、そのあおりでがされし、焼失した」とあります。 その後とりとめもなく西成の下町をと歩きまくります。 そのまま・・・!? とりあえず汗かいたので太子にある入船温泉でまったりさせてもらいます。 大人440円ですが、このへんのは大体この値段です。 立派な入れ墨が入った老人を眺め「入れ墨お断り」みたいなチンケな事を気にしない銭湯って西成と山谷以外にあるのだろーかとか思ったりしながら2時間ねばりました。 普通の風呂もあるし、水風呂あるし、うたせ湯あるし、ジャグバスあるし、語彙がアレですが文句のつけ所が無いです。 風呂上がりの牛乳(明治・130円)は格別。 ただ、風呂上がりは 他の客の邪魔になるんでさっさと帰りましょう。 おそらく何かの宣伝マンなんでしょうが西成の町に違和感なく溶け込んでいます。 なんとなく山王を歩きました。 これから先はひたすら画像が続きます。 「目で見て歩く」と云うだけありますし 西成の町にそんなに言葉や理屈は要らないと思ったからです。 これは、おっさんが 婦警さんに、難癖吹っ掛けてる訳ではなく、頑張る婦警さんに清涼飲料水をあげようとしているだけなんです笑 リアルでディープな大阪の人情を垣間見た気がしました。 炊き出しの会 患者の会 いながきひろし事務所 こうして1日目が終わったのです・・・ 次の記事では泊った「ドヤ」を紹介したいと思います。 これはオマケです。 でやってたドラマ kougasetumei.
次の上の画像をクリックするとHONZのサイトへジャンプします その中心にある三角公園から北東方向を撮影したのが『』の表紙写真だ。 右奥にひときわ高くそびえているのが地上300メートル、日本一の高さを誇るビル「あべのハルカス」。 左側に壁のように見えるが大阪市立大学医学部附属病院、そのすぐ向こう側は大阪市立天王寺動物園である。 土地勘のない人にもわかってもらえるだろう。 あいりん地区は多くの市民が憩う場所から目と鼻の先にある街だ。 しかし、大阪市民の多くは、その名を知っていても、足を踏み入れたことはないはずだ。 わたしもその一人である。 この本を読めばわかる、ここは大阪の魔境なのだ。 段ボール村から西成へ 東京でいえば山谷にあたるのだろうか。 しかし、筑波大学を7年かけて卒業し、就職しそこねたライター志望の國友クンは、東京からわざわざ西成へ取材に遣わされたのだ。 このような場所はもう西成にしか残っていないのかもしれない。 ちなみに、駆け出しライターの國友クン、卒論が段ボール村であったことからの大抜擢(?)である。 取材予定は1カ月。 まずは一泊1200円の簡易宿泊所に滞在しての足慣らしから始まった。 あいりんセンターというハローワークに出向く間にも、街をあるけば「君さ、福島へ行ってみない」と誘われたり、「仕事ができへん奴はすぐに殺される」という噂のA建設からスカウトをうけたりする。 さすが、聞きしにまさる場所である。
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