龍神 祝詞。 祝詞(のりと)とは?一般人も唱えて効果有!様々な種類をまとめて解説

龍神祝詞とは?気になる効果や起源・歴史から日々の唱え方まで解説

龍神祝詞 意訳(アマテラスチャンネル) 天の高天原にいらっしゃる龍神様は宇宙の根元存在のお使いであり、天地に働きかけ、一切を産み育て、支配されている王のような神であらせられます。 (天孫降臨のときに授けられた)十種の神宝(とくさのかんだから=鏡や剣、勾玉など。 3種の神器もこれに含まれる)に姿を変え、世界を治められている龍神様に六根(人間の五感に意識を加えた六つのすべての感覚)から一筋に真心でお仕えいたします。 愚かな人々を改心させ、厄災や罪汚れなどを清めて世界をお治めください。 龍神様にお願いを申し上げる理由をここに申し上げます。 六根(全ての感覚)で願う私の大願を成就させていただくよう、恐れながらお願い申し上げます。 龍神祝詞を奏上することによって力を授けてくださる八大龍王についてご説明します。 八大龍王はインドから来た仏教の神で、龍神です。 跋難陀• 娑迦羅• 和修吉• 徳叉伽• 阿那婆達多• 摩那斯• 優鉢羅 の八体のからなりますが、このうちの和修吉(わしゅきつ)はナーガラージャとも呼ばれ、別の記事で紹介した日本最強の龍神である「九頭龍大神」と同一存在です。 仏教というのは、もともとその土地にあった宗教の神を吸収して仏にしてしまう性格があります。 八大龍王ももともとインドで人々に信仰されていた神だったのが仏教に吸収され、「天」の位の仏となったのです。 そしてそのうちの一体である和修吉が日本古来から存在していた九頭龍大神と同一存在であるというのは神仏集合のためでしょう。

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祝詞(のりと)とは?一般人も唱えて効果有!様々な種類をまとめて解説

龍神 祝詞

龍神祝詞【原文】は下記の通りです。 高天原に坐し坐して( たかまがはらにましまして) 天と地に御働きを現し給う龍王は( てんとちにみはたらきをあらわしたまうりゅうおうは) 大宇宙根元の( だいうちゅうこんげんの) 御祖の御使いにして( みおやのみつかいにして) 一切を産み一切を育て( いっさいをうみいっさいをそだて) 萬物を御支配あらせ給う( よろずのものをごしはいあらせたまう) 王神なれば( おうじんなれば) 一二三四五六七八九十の( ひふみよいむなやことの) 十種の御寶を( とくさのみたからを) 己がすがたと変じ給いて( おのがすがたとへんじたまいて) 自在自由に( じざいじゆうに) 天界地界人界を治め給う( てんかいちかいじんかいをおさめたまう) 龍王神なるを( りゅうおうじんなるを) 尊み敬いて( とうとみうやまいて) 眞の六根一筋に( まことのむねひとすじに) 御仕え申すことの由を( みつかえもうすことのよしを) 受け引き給いて( うけひきたまいて) 愚かなる心の数々を( おろかなるこころのかずかずを) 戒め給いて( いましめたまいて) 一切衆生の罪穢れの衣を( いっさいしゅうじょうのつみけがれのころもを) 脱ぎさらしめ給いて( ぬぎさらしめたまいて) 萬物の病災をも( よろずのもののやまいわざわいをも) 立所に祓い清め給い( たちどころにはらいきよめたまい) 萬世界も御親のもとに治めしせめ給へと( よろずせかいもみおやのもとにおさめしせめたまへと) 祈願奉ることの由をきこしめして( こいねがいたてまつることのよしをきこしめして) 六根の内に念じ申す( むねのうちにねんじもおす) 大願を成就なさしめ給へと( だいがんをじょうじゅなさしめたまへと) 恐み恐み白す( かしこみかしこみもおす) 龍神祝詞【現代語訳】は下記の通りです。 アマテラスオオミカミたちが住んでおられる高天原には龍神様もおられます。 天地に働きをかける龍神様は大宇宙根元のお使いであらせられ、大宇宙のあらゆるものを支配し、一切を手掛ける王のような神でございます。 十種の御寶(アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトが天降りの際、主に授けられたもの)に姿を変え、神羅万象を自由自在に操って治められている龍神様に真心で六根(人間の五感に第六感とも呼べる意識の根本を加えたもの)一途にお仕えいたします。 浅短なる人々の心に注意を与えていただき、生命あるすべてのものの罪や穢れの衣を脱がしていただきますよう、また、宇宙のあらゆるものの病や災いをも清め、神羅万象をお治めくださいますようお願い差し上げます。 なお、龍神様にお願いを差し上げる理由をここに申し上げます。 私が六根で思う大きな願いを成就させていただきますよう、恐れ多いのですがこの通り申し上げます。 龍神祝詞の意味を文節ごとにご紹介します。 冒頭は、「龍神様が天地の世界創造においてどれだけ重要な存在であらせられるか」が記されています。 中盤には、「龍神様が十種の御寶に姿を変えて神羅万象を自由自在に操って治められていることを心から尊敬している」旨があり、終盤は「私を含め、愚なる人々の心が改められるよう龍神様にお導きいただきたい」、さらには「恐れ多いですが私の願いをも龍神祝詞の大成できますよう聞き届けていただきますように」という意味の言葉で締めくくります。 祝詞は「奏上体」と「宣命体」の文書体で成り立っており、起源は平安時代です。 そのため現代人には理解しづらい文面も多く見られます。 奏上体は祝詞のことで、宣命体は神に対して直接申し上げる際に用いる文書体で、天皇の命令を漢字のみの和文体で記したものです。 神主に神様へ申し上げたいことを伝えると、神主は宣命体の語を用いて、代理として神に申し上げてくださいます。 八大龍王とは、古代インドの鬼神・戦闘神・音楽神・動物神などが御法善神になったものです。 一神ずつ決まった順番と名前、簡単な特徴や役割をご紹介します。 難陀(ナンダ)…千手観音菩薩の眷属である。 跋難陀(ウパナンダ)…難陀の弟で、兄と共にマガダ国を保護した。 仏陀滅亡後に仏法を保護するようになった。 娑迦羅(サーガラ)…大海・大海龍王・龍宮の王である。 空海が名付けた清瀧権現は、この龍王と同一龍王である。 和修吉(ヴァースキ)…九頭龍王と同一龍王である。 徳叉伽(タクシャカ)…視毒・多舌とも呼ばれ、怒って凝視されると息絶えるとされる。 七面天女の母である。 阿那婆達多(アナヴァタプタ)…清涼・無熱悩とも呼ばれ、菩薩の化身として尊崇せられた。 摩那斯(マナスヴィン)…大身・大力とも呼ばれ、阿修羅が喜見城に海水を持ち込んだ際に、踊って海水を押し戻したとされる。 優鉢羅(ウッパラカ)…黛色蓮華池・青蓮華・青蓮華龍王とも呼ばれ、青蓮華を生ずる池に住まうとされる。 このように八大龍王は元々一神ずつ存在し、それぞれがインドの人々に信仰されていました。 しかし、この神々は仏教に吸収され、仏と称されるようになりました。 また、日本に元々存在していた九頭龍王と和修吉(ヴァースキ)が同一龍王であると考えられたのは、神仏習合のねらいがあったからとされています。

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龍神祝詞

龍神 祝詞

祝詞の意味 神主さんが神事で神前に唱える=奏上する古い文体の言葉は、「祝詞」と書かれます。 一般的には「のりと」と読みますが、「祝詞」は「しゅくし」と読むこともあります。 また、「のっと」と読まれることもあります。 間違いではありませんが、「のっと」は能や歌舞伎下座音楽として認識されることが多いでしょう。 祝詞には、神様にとり行われる神事の意義や目的を奏上する意味があります。 目的によって決まった祝詞がありますが、神事のたびに合わせて全体、または部分的に作文をすることもあります。 祝詞は無数にあるといえるでしょう。 ちなみに、祝詞を唱えることを「祝詞奏上(のりとそうじょう)」といいます。 「奏上」とは、天皇や神様に申し上げることをさしています。 一般人が祝詞を読む際は注意 一般人でも、自宅の神棚、神社参拝の際に祝詞を奏上することができます。 ただし神社では、神主さんのように神殿の中の祝詞座で奏上することはできません。 神前で祝詞奏上するには、作法や服装などの細かな決まり事があり、神主さんはしっかりと訓練されているからこその神職であり、祝詞座で奏上できます。 一般人は、お賽銭箱近く、横のあたりで、他の参拝者の邪魔にならない場所と声の大きさで祝詞奏上をしましょう。 熱心だからこそ、参拝の際に祝詞奏上をしたいと考えますが、他の参拝者に迷惑をかけてしまっては、神様は喜んでくれないでしょう。 祝詞奏上はお力添えをお願いすること 祝詞奏上することで、願いが叶ないやすくなると思っている人もいるでしょう。 しかし、神様へのお願い事は、神様に叶えてもらうものではなく、お力添えをお願いするためのものです。 叶えるのはあくまでも自分自身であるため、祝詞奏上で願いが叶いやすくなるという考えは間違っています。 祝詞は、神様と自分自身をつないでくれる見えないパイプです。 神様に敬意をはらい、存在をより身近に感じて、願い事をかなえるための力を出しやすくするためのツールです。 また、祝詞は、神様にとっては癒しのように響くとされています。 祝詞奏上で、神様のご加護をより感じられるようになるでしょう。 祝詞自体に、けがれを払ってくれる効果があるともいわれています。 祝詞の代表的な種類と短く唱える際の例 祝詞には、神事によって決まったものもあります。 神社参拝の時には「神前拝詞」、自宅にある神棚に祈る時には「神棚拝詞」、毎年6月30日と12月31日に行われる大祓式のときの「大祓詞(おおはらえのことば)」、神事の前に奏上する「祓詞(はらえことば)」が、代表的な祝詞の4種類です。 これらの祝詞は、本やインターネット上で全文を読むことができるため、興味のある人が検索してみてください。 一般的な神社の参拝で少しでも神様を近くに感じるために祝詞奏上をしたいと思っても、周りの参拝者のことを考えると、なかなか実行できないときには、短い言葉を祝詞の代わりに精いっぱいの心を込めて唱えるのがよいでしょう。 【祓(はら)え給(たま)い 清め給え かむながら 守り給い さわえ給え 祓え給い 清め給え 守り給い 幸(さきわ)え給え】 さらに短いものもあります。 【祓え給い 清め給え 神 かむ ながら守り給い 幸え給え】 「お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい」との意味があります。

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