1980年代後半から1991年にかけて発生した、「バブル」と呼ばれる熱狂的な好景気時代。 ついこの間まで何でもなかった男たちが、いきなりネオン街で札ビラ切って派手に遊ぶようになったのだ。 しかし、それはまさに「泡」のようにはじけて突然終わり、今ではその名残すらない。 あの時期、若い体を提供するだけでその恩恵にあずかっていた女たちがいた。 彼女たちは、「バブルと寝た女たち」だった。 チャンスを掴もうとしたのではなく、勝手に大金 バブル が転がり込んできた「普通」の女の子たち。 彼女たちは、その後どうなったのだろうか。 時代をえぐった作品が電子書籍で蘇った。 二度と来ないであろうあの栄枯盛衰を、家田荘子氏が体当たり取材していた。 地上げ屋の愛人となった女の子19歳 同い年の男の子と同棲し、デザイン学校に通っていた19歳のアキ(仮名)。 稼ぎのない彼と別れ、知人から紹介された地上げ屋の愛人となって銀座のクラブのホステスとして働くようになった。 「初めて出会った東京ヒルトンホテルで、セックスが終わって部屋を出る前に、ヴィトンの旅行鞄からシルバーフォックスのコートを出して、フワッと肩に掛けてくれたの。 私、まだ19歳だったからそんなもの欲しいとも思ってなかったけど、『あっ、凄いんだな、この人』って思ったのね」 アキは、大きな二重の目を左右に動かしながら、淡々とB氏との出会いを語った。 B氏はアキとベッドをともにするたびに、5万~10万円を渡した。 週1回、都内の一流ホテルで会い、泊りなしで月平均30万円が、アキへの手当てとなった。 しばらくして、アキの誕生日がやってくる。 B氏は、100万円の札束一つが入った封筒をアキに渡した。 引っ越し費用だった。 アキは、同棲相手から逃げるように、港区内にある家賃15万円のワンルームマンションに引っ越した。 専門学校をやめたアキは、B氏のすすめもあって銀座のクラブで働くようになった。 銀座でのアキの時給は15,000円。 月収で80万円。 アキの生活は一転する。 「何もかもが『わぁ、凄いな』って感じ。 それまでは、いわゆるかっこいい男の子しか目に入らなかったし、肉体関係があったのは2~3人だけだったのね。 もし、Bさんにお金がなかったら? きっと付き合わなかったと思うな。 惚れるタイプのルックスじゃないし」.
次の50歳、既婚会社員です。 バブル時代、まったくバブルのおいしい経験をしませんでした。 同じ年代の仲間の一人は、バイトで学生時代ホステスをして 高額バイト料に高額チップ、その上高級レストランで御馳走してもらい 高級ブランドの服や鞄、靴、ジュエリーを貰いまくっていたとのことです。 あ〜あ、まじめすぎて損しました。 確かに、学生時代おいしい話は沢山舞い込みましたが、自宅から大学が遠かったので、 少しでも早く家に体力の無い私は帰りたかったので、断っていました。 高級車で私を待ち伏せしていた人、高級住宅街の高級マンションを親から成人祝いとしてもらった人などから 好意をもたれいましたが、そういうことには全く興味の無かった若いころの私。 おごってくれるもらうのは、相手に悪いと思い絶対に割り勘だった私。 この年になって思います。 おいしい思いのできるうちにしておけばよかった。 同じ年代で、バブル時代においしい思いをして後悔した人いますか? 単に、バブルでおいしい思いをしてその後苦労をした人の経験を自分を慰めるために聞きたいのですが、 きっと、バブルを知らない人たちにはどんな時代だったか興味があると思い、投稿させていただきました。 ユーザーID: 8209888012 景気が良かったですね。 給料も良かったですが とくに ボーナスが良かったです。 5ー7ヶ月分は 当たり前でした 社員旅行で ハワイに行きました。 会社が社員全員の旅費を出しました 上司から 週2-3日は 夕食を御馳走になっていました。 しかも 自分では 行けないような高級店です。 私だけではなく 複数の部下を連れて、です こういう状況下で 経済的に恵まれていたので、 欲しいものは 何でも自分で買っていましたし 国内外の旅行も 自分で行っていました。 私にとって「おいしい思い」と言うのは こういうことだった と思います。 でも これらは 当時 珍しい事ではなかったと思いますね。 もっと凄いお話が 出てきそうですね! ユーザーID: 2525138960• 少しだけバブルの香りを嗅ぎました 青田買いで他社からの勧誘をかわさせる為にハワイで拘束 笑 され 御多分に漏れず不良債権処理で事業が躓き、統廃合に伴いリストラされ バブル時代に購入した自宅物件は二束三文で買いたたかれ 高額ローンの支払いだけが残ってリスケしたと嘆いている方が同僚にいますよ 働いていた業界とは全く別の業界ですが。 私が大学に入る頃にはバブルは崩壊していましたが 少しだけ残り香を嗅ぎました。 バイトですが企業に直で雇用される形でその企業の商品を家電量販店で適当にお客さんにすすめているだけで日給1万円貰えていましたし、契約に至れば日給を上回るインセンティブが出て、社員がくれば昼から回らないお寿司を一緒に食べに行ってました。 時には応援待機って言われて良くわからんまま社内でだらーんとした空気の中で社員さんと雑談。 お昼には重箱に入った弁当が出てきてそのまま今日はもう帰っていいよ〜と笑顔で送り出されたり。 引っ越しのバイトでは社員と、たぶん今ではあり得ない人員配置されたバイト達と、たらりーんとのんびり仕事。 2、3件の現場を回って毎回と言っていいほど日給を上回る心付けを貰えたので喜んで行ってました。 なんやこのままバイトで生きていけるやん!夢追いかけよ!と思っていたのも遠い昔。 完全に社会をなめてました。 不純な動機で社員に憧れていましたし、なれると思ってました 笑 ユーザーID: 6174700700• 私はむしろ、おいしい体験しなくて良かったかもと思う すみません、横になるかもしれませんが。 おいしい思いをした人は、バブル崩壊後は落差を経験したはずです。 ずーーーっとおいしいままの人は、ほぼいないと思います。 でも仮に、ずっとおいしかったとしても、そもそもその時期に望まなかった事が、 ずっと続いても嬉しいとは思わなかったろうな、としか感じません。 多分、私は根っから地味で貧乏性なのだと思います。 だいたい、そのおいしさは「バブル」で実態の無いものです。 「おいしい気がしてるだけ」の実態なき浮かれ気分だと思う。 ただ・・・就職の面で有利だったのは有難いです。 その後の就職氷河期の方々には、非常に申し訳ない気持ちにもなりますが・・ ユーザーID: 3394092959• 50歳で後悔? ここで失敗談を募っても、残念ながら世の中バブルで得した人は掃いて捨てるほど居ます。 真面目な貴女は損をしたんです。 それは変わらない。 私も同じなんでよく解る。 せめて夫には結婚前に割り勘しなきゃ良かったと今でも思うよ。 (苦笑) でもトピ文のようなことは思わない。 当時遊び捲ってた人でさえ、子供に面目なくて後悔する頃でしょうに。 バブルで沢山稼げたとか 海外旅行に行き捲ったとか 若くして家建てたとか言うならまだしも・・、 トピ文の内容はキャバ嬢が男に貢がせた話や、人に集った話ばかり。 おいしい思いの裏でその友人が何していたか聞きました? そりゃ、友人は、真面目な友達の貴女には本当のことは言えなかったかもね。 大して好きでも無いおっさんに愛想笑いやお触りだとか・・。 下手すりゃ身を売って得てたんですよ? トピ主が相手の男の立場だったら、どれだけのことしてくれたらジュエリー買ってあげる気になるか、考えてご覧よ。 バブルでは無い今も、父親より稼ぐ10代のキャバ嬢なんてゴロゴロ居ます。 でも貴女は、そんな生活してました、と今の家族に言えますか? 真面目で損をしたから、子供の前で話せるのでは? 『高級マンションを親から成人祝いとしてもらった人』 本人の稼ぎで裕福な人ならいざ知らず、 親が金持ちでその恩恵で裕福な人と結婚するのは、お勧めしない。 金持ちの親は子に甘く、資金援助してくれるかも知れないが。 嫁にだけ「援助してやったんだから義親に仕えろ」的な上から目線で物を言うよ。 理不尽な事をされても、夫は金を貰う立場なので親に頭が上がらない。 妻にお前が我慢してれば丸く収まるとか言う夫。 嫁である妻には援助も相続も無いのにね。 家庭内のトラブルの相談を受ける立場なので そんな話を沢山聞きました。 ユーザーID: 1923598436• 話題ランキング• 濡れてに粟 バブル期に日比谷で外資金融勤務。 海外旅行高級ブランド等は一通り。 一日のランチとディナーに一人で10万近く使う事もザラ。 でもね、それは私が稼いだお金です。 取引先との豪勢な接待で桁違いの経験もたくさんさせてもらいましたが、あなたが例に挙げている「ホステスのバイトでおいしい思いをしたお友達」同様、働いていたからこそのおいしい思いですよ。 その後30年生きて今至った結論が 「私も桁違いに稼げるバブル期にガンガン働いておいしい思いをいっぱいしておけばよかった」 なのかと思ったら、 「バブル期に金持ちに集っておいしい思いをしておけばよかった」 だとはね。 びっくりです。 ユーザーID: 7442802070• うん?? あの頃だから、みんなちやほやされたわけではないです。 美人しか良い思いしてません。 あの頃は三十才過ぎて独身だと、おじさん達の酒の肴にされていたような気がします。 結婚しても勤められたけど、妊娠して、産休を取って、復帰する人はほぼいなかったです。 バブルがはじけた後、優秀な後輩が入社して焦った人も多いし、無理して高値で遠方に住宅を購入した人(戦後デフレを体験せずにいたので、土地はあがるものだと思っていた)が沢山います。 ちやほやされた人より、手堅く、将来性のある男性と結婚した人が、長い目で見て幸せな生活送っているようにおもいます。 昔の同僚(凄く可愛い)と久々に会ったら、あの頃は会社のお偉いさんにネックレス貰ったり、可愛い子何人か夕飯に招待され、帰りに送ってくれるが、その子を最後に送るようにされていたときき、私には縁がないなーと思いました。 ユーザーID: 4536467223• コピーライターの超端くれとして、社会人のスタートを切ったこと 51歳。 短大卒業後に広告プロダクションに就職。 コピーライターアシスタントとして、社会人のスタートを切りました。 当時は「バブル? 何それ? おいしいの?」って印象でした。 男性と食事に行ったらオールおごりとか、パパにマンション買ってもらった女子とはまっっったく別世界で生きてましたねぇ。 仕事が激務過ぎて、のちに鬱など心身壊してしまったのは、バブルの「影」の部分でしょうか。 しかし、「何者でもない」平々凡々な私が共著という形で本を出版できたことは、知らず知らずに時代の流れを掴んでいたってことですか。 今、51歳ですが、なんとか広告・印刷・出版業界で「メシ食えてる」のはバブルの頃の自分があったからです。 故に「後悔」はありません。 ユーザーID: 3108636672• 良かったと言えば良かったのかなあ 今私は67才。 あの頃は子育て中の堅実な暮らしをする主婦でした。 自分にはバブルなんて何の関係もない世界だと思っていましたが、実は百万円持っていれば8万円の利息が付く時代でした。 せっせと貯金する主婦でしたのでかなりお金を持っていました。 銀行に貯金するだけでお金がドーンと入ってきた時代です。 しかもそのお金で回らないお寿司を食べたり、ハワイに行ったり、高級車を買ったりせずひたすら貯金を殖やしました。 唯一これだと思うのは、ファッションです。 あの頃女性ファッションは驚くほど高価でいかにも高級なものがどんどん作られていました。 私の義叔母はその世界にいて、売れ残りやショーで使われたものやテレビドラマで使われたものなどを段ボール箱に詰め込んで送ってくれました。 社員向けのバーゲンでは信じられないような安い値段で売る為にそれも迷わず買いました。 まるで夢のような素敵な洋服がどんどん手に入りました。 鏡の前でため息の出るようなきれいで豪華なスーツやワンピースやコートなどが来るのです。 飲み会に着て行くとスナックの女性たちが集まってきて「こんなきれいなお洋服見たことがない」とため息をつきました。 そしてバブルが崩壊し、義叔母が「女性のファッションは死んだ」と嘆くようになりました。 現在使えるのはコート類くらいです。 このころのコート類は中にスーツを着ても余裕で着られるような布地をケチらない物ばかりでいまだに重宝しています。 ユーザーID: 5493424468• いい思いしなくてよかったと思う バブル世代と言われる49歳。 バブル初期、浪人をしてたので遊べず。 大学に進学するも、都内の山の中。 バイトも堅実な弁当屋。 大した収入なし。 その後、発展途上国に留学し約1年間不在。 バブルが弾けつつあるのは、先輩の就活状況で感じました。 そして帰国後、バブル崩壊。 就活しても女子大生は弾かれ、高卒か短卒ならねえ…と企業のおっさんども。 圧迫セクハラパワハラ面接なんでもあり。 面接の後、バブルの名残で、「愛人にならないか」と持ちかけられた人もいたと聞きます。 中小の専門商社に就職。 高卒の先輩方からは、バブル期は業績が良すぎて、給与の他に臨時ボーナスがでて、1ヶ月の収入が70万超えだった事もあったと聞きました。 臨時50万弱…! バブルだけに?貯蓄していない先輩も多かったですね。 名残で恩恵を受けたのは、就活の際に内定予約で高級寿司をご馳走されたこと、研修で日帰りBBQとボーリングと夕飯付きのツアーがあった事、社の上層部たちに六本木のバーやフレンチなどに連れていかれたこと、飲むと必ず上司が奢ってくれてお財布を使うことがなかった事くらいですね。 最近、都内のアルバイト時給がバブル期と同じくらいになっているなあとは思います。 ユーザーID: 8098970345• 気が付かなかった! バブル上昇中に結婚しました。 私は都内でも地味な会社の地味なOLだったので独身時代も大して良い思いをしなかったし、結婚してからもバブルの恩恵ってなかったです。 …と思っていたのですが、子育ても終わりリーマンショック後に再就職してびっくり。 え?上司と一緒に出先で食事になったらおごってもらえるものじゃなかったんでしたっけ? 残業のあとってオンナノコの好きなパスタとかご飯食べに連れてってもらえるんじゃなかったっけ? 飲み会で女性もお金払うの? 出張戻りの男性から免税の口紅をばらまき土産にもらえるの当然ですよね? 若い独身の子たちは連休とあらば海外行くから化粧品頼めるよね? もちろん私がアラフォーのおばさんになっていたというのもありますが世間がこんなに渋くなっていたなんで…。 というか、今がまともなんでしょうね。 ご飯は割り勘、残業はなるべくせずした時も終わったらさっさと帰宅(たまに缶コーヒー貰える)、旅行のお土産を会社で配らないし若い子たちは海外旅行に行かない。 主さんもおいしい思いしてないと言いつつ結構恩恵はあったと思いますよ。 あとうちは結婚相手が田舎の人で「将来地元に戻ってこい。 家を買うのは厳禁」と言われ諦めましたが、同じ頃結婚した人はバブル価格でマンション買ってえらい目にあったみたいです。 バブル最中でも持ち家周りは今以上の苦労があったと思います。 うちはその後数十年たって親がなくなり都内に家を買えるようになり、バブルの頃ならあり得ないような好条件で戸建を買えました。 無自覚なバブル話と言ったら当時の名作「動物のお医者さん」の中の菱沼さんの就職の話を読むと良いと思います。 あのときはみんなあれが当然だと思って不思議じゃなかった。 今読むとすごい時代だったと思います。 ユーザーID: 2969379150• 懐かしいバブルの青春 50代女性です 若い女性であるだけでチヤホヤされて大金が舞う時代でしたよね 一緒に飲みに行っただけなのにチップでン百万円もらった事もあります 芝浦や六本木のディスコで毎週末遊んで、海外旅行もあちこち行ってブランドバッグ を買いあさって顰蹙をかったり、豪華な合コンやら クリスマスなどのイベント時の一流ホテルのディナーや豪奢なプレゼント。 服もブランドもので着飾って若い男の子のデートの車も高級外車 ワンレンにハイヒール、、 アッシー君メッシー君なんて失礼が当たり前と思っていた。 あの時代は若い女の子が一番得したんでしょうね。 すみません、これの全部を堪能しました(笑) 当時遊びつくしたため、もうやりたいこと何も残ってません。 その後の育児やら地味〜な生活も何の未練もなくこなせましたね。 あそこで椅子取りゲームに乗り遅れて結婚できなかった女の子が後悔しているという 説もありますが、あの思い出があるだけでも幸せな人生なのでは。 本当にバブルの青春は思い出だけで胸が躍る時代でした。 懐かしい。 ユーザーID: 1383949885• 仕事が有り余り、若いうちから経験が積めた 私はラクな仕事で高収入、アフターファイブは遊びまくる…とは少し違いました。 とにかくよく働きました。 社会人1年目でも結構大きな仕事を任せてもらえました。 仕事が次から次へと溢れ出る時代なのでとにかく人手が足りなかった。 若くても女性でも、実力さえあったらチャンスがゴロゴロ落ちていたゴールドラッシュ的な時代ではあったでしょうね。 数百万の仕事も、社会に出たての私が一任されていたりして、取引先に「本当にあなたが担当?」と不安になられたりしてました。 実践実践の連続で、一人前になるスピードは早かったように思います。 22,3の年でお給料は手取り40万近かったです。 その代わり、残業も月100時間は超えてましたね。 その頃積んだ知識がその後の人生の礎になったのは言うまでもありません。 この経験は私にとって最高に美味しい思いだったのです。 ユーザーID: 7348630819• 「おいしい思い」はトピ主さんには楽しくなかったかも アルバイトや腰かけ勤務の子とか休める立場の子たちは、節税対策として社が始めた海外への慰安旅行へ連れて行ってもらってましたね。 あれはちょっと羨ましかったなあ。 節税対策の一環で、福利厚生を充実させていた記憶があります。 でもバブルの狂乱はその後数年で終焉するのです。 当時は寿退社といって、女性は結婚後は専業主婦になるのが王道でした。 当時は女性がキャリアを積むのは、チャンスはあったけれどまだまだ珍しく、セクハラパワハラなんて言葉もない時代でもありました。 男性に混じって徹夜とかもザラでした 遊びではなく仕事で。 そんな感じですから、女性は専業主婦になる道が自然でもあったのですね。 その後、企業の吸収合併が繰り返され、夫が転勤やリストラされたり、無理してローンを組んだマイホームの価格が大暴落したり、影の部分もとても大きいものだったのですよ。 私自身、節税対策として子会社として出資していただき起業。 そしてバブル崩壊。 親会社から出資金の返還を突然求められ、一度振り出しに戻りました。 それでも利子をつけて恩返しできたのは、やはりバブル期に得た経験からだったのでしょう。 バブル期に派手な暮らしをしていた友人も、離婚等あれからそれはいろいろありましたけど、転んでは立ち上がり今は美容の世界で活躍してますね。 橋田壽賀子さんの「女は度胸」という朝ドラがありましたね。 あれを観ていただくと、バブルに踊らされた人とただ踊らされただけではなかった人の様子が観て取れますよ。 ユーザーID: 7348630819• 超氷河期 89年に海外留学して、そのままその国に居ついたため、 バブルを体験しておりません。 ただし、新聞雑誌でバブル現象を見聞きして(まだネットは 今ほど発達していなかったので、パソコンもケータイも持ってなかった)、 「ええ〜 日本ってそんなに金持なの? アメリカよりも景気良いの?」と なんだか半信半疑でした。 バブルが崩壊し、銀行や証券会社がなくなったときは、 びっくりしましたが、「まあ、永遠に右肩上がりなんてないよね」と 或る意味納得しました。 バブルの恩恵はゼロですが、今居る国で言葉も出来ない、 特技もない、年も若くないち、なーんにもない所からスタートしたので、 我ながら強くなれました。 すべてを自分で掴め、維持できているのは、 多分、バブルとまったく無縁だったことも一因だと思います。 なにしろ頼れるのは自分だけでしたから。 そりゃ不安ですが、まあ、仕方ないな、自分で選んだ道だからと思ってましたよ。 、 ユーザーID: 1124505006• バブル時代のおいしい話が苦手です・・・ 多分、中高生の頃にユーミンとか聴いてたら金持ちのボンボンと付き合う価値に気付いたとつくづく思う。 デートの後は郊外の実家まで車で必ず送ってくれるちょっと歳上の優しい彼。 上司に連れられて取引先の接待にご同行した時、昼はOLやってますという素人が売りの店に行ったことがありますけど、 同じ歳で昼も夜も退屈な仕事して、親父にタッチとかされてお金もらえれば平気なの?と思いましたね。 すけべオヤジはセクハラし放題の時代ですよ? 53歳ですけど同年代で美味しい思いをしたのは主に男子大学生と短大卒で証券会社など民間企業に就職した人だけだと思いますよ。 女子は期間限定だってその頃から分かり切っていましたよね。 それに東大くらいじゃなかったら女子は大学行くなくらい言われましたしね。 本当に美味しい思いをしたのは、経費でご馳走しまくって若い子にいい顔していた年代じゃないんですか。 私が良かったなと思うのは、あんなに仕事が忙しい徹夜もありの時期が若くて元気な頃だった事と、自動的に貯金出来たので出産退社した時にまとまった金額を超高金利で運用出来たことです。 今では伝説になってしまった国産スポーツカーに乗った男性が次々とナンパしてきました。 昔待ち伏せ、今ストーカー付きまとい。 アッシーメッシー従えてって言う自慢している人たまにいますけど、どういうわけかみんなどっちかというと不美人。 あの頃羽振りが良かった人達って、今もお金持ちなのかな。 私が働いている会社ってその頃お堅い印象で不人気だったけど、今は大企業になっちゃって、高卒で就職した同級生達がバブル関係なく暮らして老後安泰って感じですよ。 1億円で家を買っちゃって妻は専業主婦で一切働く気はないとぼやく部長は私と同学年。 きっと奥さんのアッシーだったに違いない。 ユーザーID: 4196884505• 同じく50歳です 20歳で就職しました。 おいしい経験…上司にご馳走になりました。 女性が少ない職場で、1対1で、お寿司屋さんとか、ホテルのバーとか。 海外出張のお土産は女性には口紅とかいただきましたね。 バレンタインに義理チョコを配ると(ちなみに男性40人、女性10人の部署)ホワイトデーには10倍になって返って来ました。 でも、気づかいと、かわす力量が必要でしたよ。 現実的には、一人暮らしだったので、自分の給料でやりくりするのが大変で、同期会と言っても、会費6000円〜8000円、先輩の結婚式の二次会で5000円〜で、かつかつでした。 今みたいにファストファッションはないし、飲食も高いし。 ただ、社内預金の金利はべらぼうに高くて(確か7%だった)でも、上記のように一人暮らしだったので預けられる余裕は少なくて、親は、仕送りしてやるから給料全部社内預金にしろって言ってましたけどね〜そこは、甘えればよかったかな。 ユーザーID: 9529322528• よい体験させてもらいました バブル期の就職は良い思い出だらけです。 会社訪問すると各社実費の数倍の交通費支給してくれたりしました。 証券会社に就職したばかりの女性が公務員の父親の賞与を軽く抜いたとか景気の良い話が飛び交ってました。 大企業に就職して大企業の取引先も多く、個人では恐れ多くて行けないような高級飲食店で接待受けたりも、取引先が年間を通じて確保している球場のシーズンチケットもらったり、職務の知識を広げるための無料セミナーなども多く開催されて参加していました。 日本の境内が傾きかけた頃に米国企業に声を掛けられたのもバブル期の無料セミナなどで勉強させてもらえたおかげです。 日本のバブルでは金銭的恩恵はさほどなかったですが、米国のITバブルではサラリーマンの生涯賃金くらいの恩恵受けさせてもらいました。 ユーザーID: 8159924866• 本来、入れなかった会社に入れたのかも 50代です。 1988年に就職しました。 私大の文系学部でしたが、大手コンピュータメーカーのSEとして社会人生活をスタートしました。 でも、バブルが弾けてみると、新入社員の数は半減。 更に学歴見て愕然。 偏差値の高い大学ずらりで、しかも文系学部が大幅にカット。 理工系出身者ばかりになりました。 「おれ、今受けたら受かってないわ・・」。 その後、外資系を渡ったりいろいろしていますが、最初の会社の威光があるのでそれなりに見て貰えるし、何よりいい経験が積めました。 社内研修も充実してて、受け放題だったので勉強もでき、最先端の技術の仕事に関わる事もできました。 連日深夜まで仕事だったので、ディスコも高級外車も都心のマンションも縁がなく、朝社員寮を出て、終電で寮に帰るという仕事漬けの日々でしたが、でも、バブルの恩恵は受けたと思っています。 ユーザーID: 6712177962• 感想 私の周囲でバブルを経験した女性ほど「今が幸せではない」って悶々としてますよ。 共通項と言っていいくらい。 端から見ると十二分に幸せな環境にいるんだけど、時代が変わっても当時の感覚でものを見るから全てに不満を持つみたい。 金銭感覚も当時の感覚がどうしてもベースにあって貯金が苦手な人も多い。 気の毒だなあって思います。 話を聞くと、就職は大企業のほうから「来て下さい」状態、入社試験は交通費とランチ付き(割と豪華なお弁当)が主流だったとかね。 海外旅行は当たり前、ボーナスでブランド品を買いあさり、だいたいみんなブルガリの時計やカルティエのリングを一個は持ってたとかね。 なんかそういう感じ。 同じ国とは思えませんよね。 ユーザーID: 7633761388• 私ではないけど、周囲にゴロゴロいたのは不動産転ばしです 良かったという思いと「経験していなければよかった」と言う思い半々かしら(笑 はい、わたしはドップリしっかり堪能しましたよ。 なので回るお寿司なんて「はぁ?」ですし アッシー君はごまんといましたから「私の脚は歩くための物ではなーい」と豪語していましたっけね(笑 欲しいものは誰かが買ってくれたので、自分の収入はたまる一方。 そんなだったから、お金は湧いてくるものと思い込んでた20代だったなー。 で、バブルがはじけてからは年々アッシー君貢君の数も減り、生活レベルを下げられなかったために貯蓄も減っていき・・・・(爆笑 このままいくと、私はただの一般人?と気づき「節約」といういままでご縁のなかったことをしはじめました。 辛かったなー。 正直いまもなんとなくしんどいですよ。 札束なんて数えなくても贅沢出来ていたんですもの。 でも「生活するってこういうことなんだな」と実感できたのは良かったことかも。 けして現在貧乏なわけれはないし、不幸せだとは思ってません(ちょい昔は不幸じゃーと思ったことも有るけれど) 現在断捨離中なので、昔のアルバムを見る機会が合いました。 楽しかったなぁという思いの反面「ばっかじゃないの?」とおもう自分がいます。 ユーザーID: 0868222513• 私も地味だったけど 今 56歳です。 バブルといわれた時代、誰かにおごってもらったり 何かをプレゼントされたり、ということはなく、やりたいことがあったので そのために地味ーに生きてました。 今 振り返って、誰かにおごってもらったり、何かをもらったり しなくてよかったと思っています。 わたしの性格上、それを「借り」とおもってプライドが許さなかったでしょう。 たぶん、心から楽しめなかったと思います。 それに、いい思いをした人たち(主に土地や株)のエグいその後を いっぱい聞いたので(ちょっとここでは書けません)、 甘い汁を吸わなくてよかったと本当に思いますよ。 堅実な人生に誇りをもってください。 ユーザーID: 5114424779• タンスの中にバブルのなごり 49歳です。 学生だったし地方のためか?あまりバブルで美味しい思い、という思い出は私自身にはありません。 でも、夢があるなあ〜って思う回りの話は、 やはり「パパ」にマンションを買ってもらったり、外車を買ってもらったり、欧州に旅行してジュエリーを買ってもらったり・・・ということが「庶民」でも体験出来た、ということでしょうか。 私もトピ主さんと一緒で、 「彼氏以外に奢られたくない」タイプだったため、 数少ないお誘いも丁重にお断りしてきましたが、 クラスメイトの美味しい ? 体験談、武勇伝などを聞くと ちょっと羨ましかったり、 勿体無かったかなぁなんて、脳裏を掠めることもあるのですが、 上記のような体験をしていたクラスメイトの話では、 「私みたいな女に将来息子がたかられるんだろうな」 という不安がいつもある、ということでした。 言われてみれば・・・確かにそんな不安感じたことありません。 子供達が誰かに騙されたりたかられたりする不安もありません。 自分がしてないから、自分の世界の中にないんですよね。 自分がしたことって、自分の中に積もるんだなと思います。 ただ、 男性に美味しい思いをさせてもらうのではなく、自分で美味しい思いを体験してみたかったな、というのはあるのですが、 当時は、今日買った株が明日、倍になると言われていましたよね 私の場合、やめ時を見過ごし、タイヘンな事になってしまう可能性が若いときはあったので、時期がずれていてちょうど良かったと思います。 ユーザーID: 5342947611• 私の青春、さようなら・・・・・。 アラ還です。 バブルとはほぼ関係ありませんでした。 美味しい思いをした人は、自分とは別次元の人という感じで、ふーん、そういう人もいたんだねという感じです。 唯一羨ましいと思ったのは、もうすぐ定年の人が「バブル時の貯金があるので何とかやっていけます」と言っていたことです。 バブル時老後の為に貯えられる程の潤いは無かったので、それは素直に羨ましいです。 テレビでバブル時贅沢三昧だった人が、今老後破綻状態なのを見て、こういう人は少なくないのだろうなと思いました。 「まさか生活が変わるなんて思ってなかった」と言っていました。 ガッツリ貯めてた人は賢明ですよね。 >おいしい思いのできるうちにしておけばよかった。 逆にもうできない贅沢を懐かしむ方が虚しく思えますけどね。 ずっと贅沢を継続している人は羨ましいけど。 ユーザーID: 2014512154• バブルの恩恵はみんなが受けたと思います 国の経済状況は国民全員に影響するので、バブル世代まっただ中じゃなくても恩恵を受けたし、トピ主さんもご本人の気づかないところでおいしい思いをしていた可能性はあるんじゃないでしょうか。 私もバブル最盛期は小学生から中学生でしたが、明らかに恩恵を受けていましたよ。 親が自営業だったので地方都市でもお金があふれていたのはこの目で見ていたし、親が潤っていたおかげで教育費に糸目はつけずいい学校に行かせてもらいました。 バブルのはじけた後だったら、絶対にあのような教育は受けさせてもらえなかったと思います。 よくおぼえているのは、日曜日の朝のテレビのCMが、ハワイのコンドミニアム投資だったことです。 普通にテレビ見てる庶民が外国に不動産投資とか、今では考えられないですよね。 とにかく世の中が明るくて、皆この先右肩上がりが続くと思っていた時代です。 2000年代に中国で仕事したのですが、その頃の中国は皆が希望に満ちあふれていて、バブルの頃の日本を彷彿とさせました。 お金持ちだけじゃなくて、普通に働いている人でも、これから人生がよくなるという希望がありました。 そういう希望のある時代を社会人として生きることができたって、それだけでおいしい思いをしたことになりませんか? ユーザーID: 7676870975• 野暮なツッコミだけど.
次の50歳、既婚会社員です。 バブル時代、まったくバブルのおいしい経験をしませんでした。 同じ年代の仲間の一人は、バイトで学生時代ホステスをして 高額バイト料に高額チップ、その上高級レストランで御馳走してもらい 高級ブランドの服や鞄、靴、ジュエリーを貰いまくっていたとのことです。 あ〜あ、まじめすぎて損しました。 確かに、学生時代おいしい話は沢山舞い込みましたが、自宅から大学が遠かったので、 少しでも早く家に体力の無い私は帰りたかったので、断っていました。 高級車で私を待ち伏せしていた人、高級住宅街の高級マンションを親から成人祝いとしてもらった人などから 好意をもたれいましたが、そういうことには全く興味の無かった若いころの私。 おごってくれるもらうのは、相手に悪いと思い絶対に割り勘だった私。 この年になって思います。 おいしい思いのできるうちにしておけばよかった。 同じ年代で、バブル時代においしい思いをして後悔した人いますか? 単に、バブルでおいしい思いをしてその後苦労をした人の経験を自分を慰めるために聞きたいのですが、 きっと、バブルを知らない人たちにはどんな時代だったか興味があると思い、投稿させていただきました。 ユーザーID: 8209888012 景気が良かったですね。 給料も良かったですが とくに ボーナスが良かったです。 5ー7ヶ月分は 当たり前でした 社員旅行で ハワイに行きました。 会社が社員全員の旅費を出しました 上司から 週2-3日は 夕食を御馳走になっていました。 しかも 自分では 行けないような高級店です。 私だけではなく 複数の部下を連れて、です こういう状況下で 経済的に恵まれていたので、 欲しいものは 何でも自分で買っていましたし 国内外の旅行も 自分で行っていました。 私にとって「おいしい思い」と言うのは こういうことだった と思います。 でも これらは 当時 珍しい事ではなかったと思いますね。 もっと凄いお話が 出てきそうですね! ユーザーID: 2525138960• 少しだけバブルの香りを嗅ぎました 青田買いで他社からの勧誘をかわさせる為にハワイで拘束 笑 され 御多分に漏れず不良債権処理で事業が躓き、統廃合に伴いリストラされ バブル時代に購入した自宅物件は二束三文で買いたたかれ 高額ローンの支払いだけが残ってリスケしたと嘆いている方が同僚にいますよ 働いていた業界とは全く別の業界ですが。 私が大学に入る頃にはバブルは崩壊していましたが 少しだけ残り香を嗅ぎました。 バイトですが企業に直で雇用される形でその企業の商品を家電量販店で適当にお客さんにすすめているだけで日給1万円貰えていましたし、契約に至れば日給を上回るインセンティブが出て、社員がくれば昼から回らないお寿司を一緒に食べに行ってました。 時には応援待機って言われて良くわからんまま社内でだらーんとした空気の中で社員さんと雑談。 お昼には重箱に入った弁当が出てきてそのまま今日はもう帰っていいよ〜と笑顔で送り出されたり。 引っ越しのバイトでは社員と、たぶん今ではあり得ない人員配置されたバイト達と、たらりーんとのんびり仕事。 2、3件の現場を回って毎回と言っていいほど日給を上回る心付けを貰えたので喜んで行ってました。 なんやこのままバイトで生きていけるやん!夢追いかけよ!と思っていたのも遠い昔。 完全に社会をなめてました。 不純な動機で社員に憧れていましたし、なれると思ってました 笑 ユーザーID: 6174700700• 私はむしろ、おいしい体験しなくて良かったかもと思う すみません、横になるかもしれませんが。 おいしい思いをした人は、バブル崩壊後は落差を経験したはずです。 ずーーーっとおいしいままの人は、ほぼいないと思います。 でも仮に、ずっとおいしかったとしても、そもそもその時期に望まなかった事が、 ずっと続いても嬉しいとは思わなかったろうな、としか感じません。 多分、私は根っから地味で貧乏性なのだと思います。 だいたい、そのおいしさは「バブル」で実態の無いものです。 「おいしい気がしてるだけ」の実態なき浮かれ気分だと思う。 ただ・・・就職の面で有利だったのは有難いです。 その後の就職氷河期の方々には、非常に申し訳ない気持ちにもなりますが・・ ユーザーID: 3394092959• 50歳で後悔? ここで失敗談を募っても、残念ながら世の中バブルで得した人は掃いて捨てるほど居ます。 真面目な貴女は損をしたんです。 それは変わらない。 私も同じなんでよく解る。 せめて夫には結婚前に割り勘しなきゃ良かったと今でも思うよ。 (苦笑) でもトピ文のようなことは思わない。 当時遊び捲ってた人でさえ、子供に面目なくて後悔する頃でしょうに。 バブルで沢山稼げたとか 海外旅行に行き捲ったとか 若くして家建てたとか言うならまだしも・・、 トピ文の内容はキャバ嬢が男に貢がせた話や、人に集った話ばかり。 おいしい思いの裏でその友人が何していたか聞きました? そりゃ、友人は、真面目な友達の貴女には本当のことは言えなかったかもね。 大して好きでも無いおっさんに愛想笑いやお触りだとか・・。 下手すりゃ身を売って得てたんですよ? トピ主が相手の男の立場だったら、どれだけのことしてくれたらジュエリー買ってあげる気になるか、考えてご覧よ。 バブルでは無い今も、父親より稼ぐ10代のキャバ嬢なんてゴロゴロ居ます。 でも貴女は、そんな生活してました、と今の家族に言えますか? 真面目で損をしたから、子供の前で話せるのでは? 『高級マンションを親から成人祝いとしてもらった人』 本人の稼ぎで裕福な人ならいざ知らず、 親が金持ちでその恩恵で裕福な人と結婚するのは、お勧めしない。 金持ちの親は子に甘く、資金援助してくれるかも知れないが。 嫁にだけ「援助してやったんだから義親に仕えろ」的な上から目線で物を言うよ。 理不尽な事をされても、夫は金を貰う立場なので親に頭が上がらない。 妻にお前が我慢してれば丸く収まるとか言う夫。 嫁である妻には援助も相続も無いのにね。 家庭内のトラブルの相談を受ける立場なので そんな話を沢山聞きました。 ユーザーID: 1923598436• 話題ランキング• 濡れてに粟 バブル期に日比谷で外資金融勤務。 海外旅行高級ブランド等は一通り。 一日のランチとディナーに一人で10万近く使う事もザラ。 でもね、それは私が稼いだお金です。 取引先との豪勢な接待で桁違いの経験もたくさんさせてもらいましたが、あなたが例に挙げている「ホステスのバイトでおいしい思いをしたお友達」同様、働いていたからこそのおいしい思いですよ。 その後30年生きて今至った結論が 「私も桁違いに稼げるバブル期にガンガン働いておいしい思いをいっぱいしておけばよかった」 なのかと思ったら、 「バブル期に金持ちに集っておいしい思いをしておけばよかった」 だとはね。 びっくりです。 ユーザーID: 7442802070• うん?? あの頃だから、みんなちやほやされたわけではないです。 美人しか良い思いしてません。 あの頃は三十才過ぎて独身だと、おじさん達の酒の肴にされていたような気がします。 結婚しても勤められたけど、妊娠して、産休を取って、復帰する人はほぼいなかったです。 バブルがはじけた後、優秀な後輩が入社して焦った人も多いし、無理して高値で遠方に住宅を購入した人(戦後デフレを体験せずにいたので、土地はあがるものだと思っていた)が沢山います。 ちやほやされた人より、手堅く、将来性のある男性と結婚した人が、長い目で見て幸せな生活送っているようにおもいます。 昔の同僚(凄く可愛い)と久々に会ったら、あの頃は会社のお偉いさんにネックレス貰ったり、可愛い子何人か夕飯に招待され、帰りに送ってくれるが、その子を最後に送るようにされていたときき、私には縁がないなーと思いました。 ユーザーID: 4536467223• コピーライターの超端くれとして、社会人のスタートを切ったこと 51歳。 短大卒業後に広告プロダクションに就職。 コピーライターアシスタントとして、社会人のスタートを切りました。 当時は「バブル? 何それ? おいしいの?」って印象でした。 男性と食事に行ったらオールおごりとか、パパにマンション買ってもらった女子とはまっっったく別世界で生きてましたねぇ。 仕事が激務過ぎて、のちに鬱など心身壊してしまったのは、バブルの「影」の部分でしょうか。 しかし、「何者でもない」平々凡々な私が共著という形で本を出版できたことは、知らず知らずに時代の流れを掴んでいたってことですか。 今、51歳ですが、なんとか広告・印刷・出版業界で「メシ食えてる」のはバブルの頃の自分があったからです。 故に「後悔」はありません。 ユーザーID: 3108636672• 良かったと言えば良かったのかなあ 今私は67才。 あの頃は子育て中の堅実な暮らしをする主婦でした。 自分にはバブルなんて何の関係もない世界だと思っていましたが、実は百万円持っていれば8万円の利息が付く時代でした。 せっせと貯金する主婦でしたのでかなりお金を持っていました。 銀行に貯金するだけでお金がドーンと入ってきた時代です。 しかもそのお金で回らないお寿司を食べたり、ハワイに行ったり、高級車を買ったりせずひたすら貯金を殖やしました。 唯一これだと思うのは、ファッションです。 あの頃女性ファッションは驚くほど高価でいかにも高級なものがどんどん作られていました。 私の義叔母はその世界にいて、売れ残りやショーで使われたものやテレビドラマで使われたものなどを段ボール箱に詰め込んで送ってくれました。 社員向けのバーゲンでは信じられないような安い値段で売る為にそれも迷わず買いました。 まるで夢のような素敵な洋服がどんどん手に入りました。 鏡の前でため息の出るようなきれいで豪華なスーツやワンピースやコートなどが来るのです。 飲み会に着て行くとスナックの女性たちが集まってきて「こんなきれいなお洋服見たことがない」とため息をつきました。 そしてバブルが崩壊し、義叔母が「女性のファッションは死んだ」と嘆くようになりました。 現在使えるのはコート類くらいです。 このころのコート類は中にスーツを着ても余裕で着られるような布地をケチらない物ばかりでいまだに重宝しています。 ユーザーID: 5493424468• いい思いしなくてよかったと思う バブル世代と言われる49歳。 バブル初期、浪人をしてたので遊べず。 大学に進学するも、都内の山の中。 バイトも堅実な弁当屋。 大した収入なし。 その後、発展途上国に留学し約1年間不在。 バブルが弾けつつあるのは、先輩の就活状況で感じました。 そして帰国後、バブル崩壊。 就活しても女子大生は弾かれ、高卒か短卒ならねえ…と企業のおっさんども。 圧迫セクハラパワハラ面接なんでもあり。 面接の後、バブルの名残で、「愛人にならないか」と持ちかけられた人もいたと聞きます。 中小の専門商社に就職。 高卒の先輩方からは、バブル期は業績が良すぎて、給与の他に臨時ボーナスがでて、1ヶ月の収入が70万超えだった事もあったと聞きました。 臨時50万弱…! バブルだけに?貯蓄していない先輩も多かったですね。 名残で恩恵を受けたのは、就活の際に内定予約で高級寿司をご馳走されたこと、研修で日帰りBBQとボーリングと夕飯付きのツアーがあった事、社の上層部たちに六本木のバーやフレンチなどに連れていかれたこと、飲むと必ず上司が奢ってくれてお財布を使うことがなかった事くらいですね。 最近、都内のアルバイト時給がバブル期と同じくらいになっているなあとは思います。 ユーザーID: 8098970345• 気が付かなかった! バブル上昇中に結婚しました。 私は都内でも地味な会社の地味なOLだったので独身時代も大して良い思いをしなかったし、結婚してからもバブルの恩恵ってなかったです。 …と思っていたのですが、子育ても終わりリーマンショック後に再就職してびっくり。 え?上司と一緒に出先で食事になったらおごってもらえるものじゃなかったんでしたっけ? 残業のあとってオンナノコの好きなパスタとかご飯食べに連れてってもらえるんじゃなかったっけ? 飲み会で女性もお金払うの? 出張戻りの男性から免税の口紅をばらまき土産にもらえるの当然ですよね? 若い独身の子たちは連休とあらば海外行くから化粧品頼めるよね? もちろん私がアラフォーのおばさんになっていたというのもありますが世間がこんなに渋くなっていたなんで…。 というか、今がまともなんでしょうね。 ご飯は割り勘、残業はなるべくせずした時も終わったらさっさと帰宅(たまに缶コーヒー貰える)、旅行のお土産を会社で配らないし若い子たちは海外旅行に行かない。 主さんもおいしい思いしてないと言いつつ結構恩恵はあったと思いますよ。 あとうちは結婚相手が田舎の人で「将来地元に戻ってこい。 家を買うのは厳禁」と言われ諦めましたが、同じ頃結婚した人はバブル価格でマンション買ってえらい目にあったみたいです。 バブル最中でも持ち家周りは今以上の苦労があったと思います。 うちはその後数十年たって親がなくなり都内に家を買えるようになり、バブルの頃ならあり得ないような好条件で戸建を買えました。 無自覚なバブル話と言ったら当時の名作「動物のお医者さん」の中の菱沼さんの就職の話を読むと良いと思います。 あのときはみんなあれが当然だと思って不思議じゃなかった。 今読むとすごい時代だったと思います。 ユーザーID: 2969379150• 懐かしいバブルの青春 50代女性です 若い女性であるだけでチヤホヤされて大金が舞う時代でしたよね 一緒に飲みに行っただけなのにチップでン百万円もらった事もあります 芝浦や六本木のディスコで毎週末遊んで、海外旅行もあちこち行ってブランドバッグ を買いあさって顰蹙をかったり、豪華な合コンやら クリスマスなどのイベント時の一流ホテルのディナーや豪奢なプレゼント。 服もブランドもので着飾って若い男の子のデートの車も高級外車 ワンレンにハイヒール、、 アッシー君メッシー君なんて失礼が当たり前と思っていた。 あの時代は若い女の子が一番得したんでしょうね。 すみません、これの全部を堪能しました(笑) 当時遊びつくしたため、もうやりたいこと何も残ってません。 その後の育児やら地味〜な生活も何の未練もなくこなせましたね。 あそこで椅子取りゲームに乗り遅れて結婚できなかった女の子が後悔しているという 説もありますが、あの思い出があるだけでも幸せな人生なのでは。 本当にバブルの青春は思い出だけで胸が躍る時代でした。 懐かしい。 ユーザーID: 1383949885• 仕事が有り余り、若いうちから経験が積めた 私はラクな仕事で高収入、アフターファイブは遊びまくる…とは少し違いました。 とにかくよく働きました。 社会人1年目でも結構大きな仕事を任せてもらえました。 仕事が次から次へと溢れ出る時代なのでとにかく人手が足りなかった。 若くても女性でも、実力さえあったらチャンスがゴロゴロ落ちていたゴールドラッシュ的な時代ではあったでしょうね。 数百万の仕事も、社会に出たての私が一任されていたりして、取引先に「本当にあなたが担当?」と不安になられたりしてました。 実践実践の連続で、一人前になるスピードは早かったように思います。 22,3の年でお給料は手取り40万近かったです。 その代わり、残業も月100時間は超えてましたね。 その頃積んだ知識がその後の人生の礎になったのは言うまでもありません。 この経験は私にとって最高に美味しい思いだったのです。 ユーザーID: 7348630819• 「おいしい思い」はトピ主さんには楽しくなかったかも アルバイトや腰かけ勤務の子とか休める立場の子たちは、節税対策として社が始めた海外への慰安旅行へ連れて行ってもらってましたね。 あれはちょっと羨ましかったなあ。 節税対策の一環で、福利厚生を充実させていた記憶があります。 でもバブルの狂乱はその後数年で終焉するのです。 当時は寿退社といって、女性は結婚後は専業主婦になるのが王道でした。 当時は女性がキャリアを積むのは、チャンスはあったけれどまだまだ珍しく、セクハラパワハラなんて言葉もない時代でもありました。 男性に混じって徹夜とかもザラでした 遊びではなく仕事で。 そんな感じですから、女性は専業主婦になる道が自然でもあったのですね。 その後、企業の吸収合併が繰り返され、夫が転勤やリストラされたり、無理してローンを組んだマイホームの価格が大暴落したり、影の部分もとても大きいものだったのですよ。 私自身、節税対策として子会社として出資していただき起業。 そしてバブル崩壊。 親会社から出資金の返還を突然求められ、一度振り出しに戻りました。 それでも利子をつけて恩返しできたのは、やはりバブル期に得た経験からだったのでしょう。 バブル期に派手な暮らしをしていた友人も、離婚等あれからそれはいろいろありましたけど、転んでは立ち上がり今は美容の世界で活躍してますね。 橋田壽賀子さんの「女は度胸」という朝ドラがありましたね。 あれを観ていただくと、バブルに踊らされた人とただ踊らされただけではなかった人の様子が観て取れますよ。 ユーザーID: 7348630819• 超氷河期 89年に海外留学して、そのままその国に居ついたため、 バブルを体験しておりません。 ただし、新聞雑誌でバブル現象を見聞きして(まだネットは 今ほど発達していなかったので、パソコンもケータイも持ってなかった)、 「ええ〜 日本ってそんなに金持なの? アメリカよりも景気良いの?」と なんだか半信半疑でした。 バブルが崩壊し、銀行や証券会社がなくなったときは、 びっくりしましたが、「まあ、永遠に右肩上がりなんてないよね」と 或る意味納得しました。 バブルの恩恵はゼロですが、今居る国で言葉も出来ない、 特技もない、年も若くないち、なーんにもない所からスタートしたので、 我ながら強くなれました。 すべてを自分で掴め、維持できているのは、 多分、バブルとまったく無縁だったことも一因だと思います。 なにしろ頼れるのは自分だけでしたから。 そりゃ不安ですが、まあ、仕方ないな、自分で選んだ道だからと思ってましたよ。 、 ユーザーID: 1124505006• バブル時代のおいしい話が苦手です・・・ 多分、中高生の頃にユーミンとか聴いてたら金持ちのボンボンと付き合う価値に気付いたとつくづく思う。 デートの後は郊外の実家まで車で必ず送ってくれるちょっと歳上の優しい彼。 上司に連れられて取引先の接待にご同行した時、昼はOLやってますという素人が売りの店に行ったことがありますけど、 同じ歳で昼も夜も退屈な仕事して、親父にタッチとかされてお金もらえれば平気なの?と思いましたね。 すけべオヤジはセクハラし放題の時代ですよ? 53歳ですけど同年代で美味しい思いをしたのは主に男子大学生と短大卒で証券会社など民間企業に就職した人だけだと思いますよ。 女子は期間限定だってその頃から分かり切っていましたよね。 それに東大くらいじゃなかったら女子は大学行くなくらい言われましたしね。 本当に美味しい思いをしたのは、経費でご馳走しまくって若い子にいい顔していた年代じゃないんですか。 私が良かったなと思うのは、あんなに仕事が忙しい徹夜もありの時期が若くて元気な頃だった事と、自動的に貯金出来たので出産退社した時にまとまった金額を超高金利で運用出来たことです。 今では伝説になってしまった国産スポーツカーに乗った男性が次々とナンパしてきました。 昔待ち伏せ、今ストーカー付きまとい。 アッシーメッシー従えてって言う自慢している人たまにいますけど、どういうわけかみんなどっちかというと不美人。 あの頃羽振りが良かった人達って、今もお金持ちなのかな。 私が働いている会社ってその頃お堅い印象で不人気だったけど、今は大企業になっちゃって、高卒で就職した同級生達がバブル関係なく暮らして老後安泰って感じですよ。 1億円で家を買っちゃって妻は専業主婦で一切働く気はないとぼやく部長は私と同学年。 きっと奥さんのアッシーだったに違いない。 ユーザーID: 4196884505• 同じく50歳です 20歳で就職しました。 おいしい経験…上司にご馳走になりました。 女性が少ない職場で、1対1で、お寿司屋さんとか、ホテルのバーとか。 海外出張のお土産は女性には口紅とかいただきましたね。 バレンタインに義理チョコを配ると(ちなみに男性40人、女性10人の部署)ホワイトデーには10倍になって返って来ました。 でも、気づかいと、かわす力量が必要でしたよ。 現実的には、一人暮らしだったので、自分の給料でやりくりするのが大変で、同期会と言っても、会費6000円〜8000円、先輩の結婚式の二次会で5000円〜で、かつかつでした。 今みたいにファストファッションはないし、飲食も高いし。 ただ、社内預金の金利はべらぼうに高くて(確か7%だった)でも、上記のように一人暮らしだったので預けられる余裕は少なくて、親は、仕送りしてやるから給料全部社内預金にしろって言ってましたけどね〜そこは、甘えればよかったかな。 ユーザーID: 9529322528• よい体験させてもらいました バブル期の就職は良い思い出だらけです。 会社訪問すると各社実費の数倍の交通費支給してくれたりしました。 証券会社に就職したばかりの女性が公務員の父親の賞与を軽く抜いたとか景気の良い話が飛び交ってました。 大企業に就職して大企業の取引先も多く、個人では恐れ多くて行けないような高級飲食店で接待受けたりも、取引先が年間を通じて確保している球場のシーズンチケットもらったり、職務の知識を広げるための無料セミナーなども多く開催されて参加していました。 日本の境内が傾きかけた頃に米国企業に声を掛けられたのもバブル期の無料セミナなどで勉強させてもらえたおかげです。 日本のバブルでは金銭的恩恵はさほどなかったですが、米国のITバブルではサラリーマンの生涯賃金くらいの恩恵受けさせてもらいました。 ユーザーID: 8159924866• 本来、入れなかった会社に入れたのかも 50代です。 1988年に就職しました。 私大の文系学部でしたが、大手コンピュータメーカーのSEとして社会人生活をスタートしました。 でも、バブルが弾けてみると、新入社員の数は半減。 更に学歴見て愕然。 偏差値の高い大学ずらりで、しかも文系学部が大幅にカット。 理工系出身者ばかりになりました。 「おれ、今受けたら受かってないわ・・」。 その後、外資系を渡ったりいろいろしていますが、最初の会社の威光があるのでそれなりに見て貰えるし、何よりいい経験が積めました。 社内研修も充実してて、受け放題だったので勉強もでき、最先端の技術の仕事に関わる事もできました。 連日深夜まで仕事だったので、ディスコも高級外車も都心のマンションも縁がなく、朝社員寮を出て、終電で寮に帰るという仕事漬けの日々でしたが、でも、バブルの恩恵は受けたと思っています。 ユーザーID: 6712177962• 感想 私の周囲でバブルを経験した女性ほど「今が幸せではない」って悶々としてますよ。 共通項と言っていいくらい。 端から見ると十二分に幸せな環境にいるんだけど、時代が変わっても当時の感覚でものを見るから全てに不満を持つみたい。 金銭感覚も当時の感覚がどうしてもベースにあって貯金が苦手な人も多い。 気の毒だなあって思います。 話を聞くと、就職は大企業のほうから「来て下さい」状態、入社試験は交通費とランチ付き(割と豪華なお弁当)が主流だったとかね。 海外旅行は当たり前、ボーナスでブランド品を買いあさり、だいたいみんなブルガリの時計やカルティエのリングを一個は持ってたとかね。 なんかそういう感じ。 同じ国とは思えませんよね。 ユーザーID: 7633761388• 私ではないけど、周囲にゴロゴロいたのは不動産転ばしです 良かったという思いと「経験していなければよかった」と言う思い半々かしら(笑 はい、わたしはドップリしっかり堪能しましたよ。 なので回るお寿司なんて「はぁ?」ですし アッシー君はごまんといましたから「私の脚は歩くための物ではなーい」と豪語していましたっけね(笑 欲しいものは誰かが買ってくれたので、自分の収入はたまる一方。 そんなだったから、お金は湧いてくるものと思い込んでた20代だったなー。 で、バブルがはじけてからは年々アッシー君貢君の数も減り、生活レベルを下げられなかったために貯蓄も減っていき・・・・(爆笑 このままいくと、私はただの一般人?と気づき「節約」といういままでご縁のなかったことをしはじめました。 辛かったなー。 正直いまもなんとなくしんどいですよ。 札束なんて数えなくても贅沢出来ていたんですもの。 でも「生活するってこういうことなんだな」と実感できたのは良かったことかも。 けして現在貧乏なわけれはないし、不幸せだとは思ってません(ちょい昔は不幸じゃーと思ったことも有るけれど) 現在断捨離中なので、昔のアルバムを見る機会が合いました。 楽しかったなぁという思いの反面「ばっかじゃないの?」とおもう自分がいます。 ユーザーID: 0868222513• 私も地味だったけど 今 56歳です。 バブルといわれた時代、誰かにおごってもらったり 何かをプレゼントされたり、ということはなく、やりたいことがあったので そのために地味ーに生きてました。 今 振り返って、誰かにおごってもらったり、何かをもらったり しなくてよかったと思っています。 わたしの性格上、それを「借り」とおもってプライドが許さなかったでしょう。 たぶん、心から楽しめなかったと思います。 それに、いい思いをした人たち(主に土地や株)のエグいその後を いっぱい聞いたので(ちょっとここでは書けません)、 甘い汁を吸わなくてよかったと本当に思いますよ。 堅実な人生に誇りをもってください。 ユーザーID: 5114424779• タンスの中にバブルのなごり 49歳です。 学生だったし地方のためか?あまりバブルで美味しい思い、という思い出は私自身にはありません。 でも、夢があるなあ〜って思う回りの話は、 やはり「パパ」にマンションを買ってもらったり、外車を買ってもらったり、欧州に旅行してジュエリーを買ってもらったり・・・ということが「庶民」でも体験出来た、ということでしょうか。 私もトピ主さんと一緒で、 「彼氏以外に奢られたくない」タイプだったため、 数少ないお誘いも丁重にお断りしてきましたが、 クラスメイトの美味しい ? 体験談、武勇伝などを聞くと ちょっと羨ましかったり、 勿体無かったかなぁなんて、脳裏を掠めることもあるのですが、 上記のような体験をしていたクラスメイトの話では、 「私みたいな女に将来息子がたかられるんだろうな」 という不安がいつもある、ということでした。 言われてみれば・・・確かにそんな不安感じたことありません。 子供達が誰かに騙されたりたかられたりする不安もありません。 自分がしてないから、自分の世界の中にないんですよね。 自分がしたことって、自分の中に積もるんだなと思います。 ただ、 男性に美味しい思いをさせてもらうのではなく、自分で美味しい思いを体験してみたかったな、というのはあるのですが、 当時は、今日買った株が明日、倍になると言われていましたよね 私の場合、やめ時を見過ごし、タイヘンな事になってしまう可能性が若いときはあったので、時期がずれていてちょうど良かったと思います。 ユーザーID: 5342947611• 私の青春、さようなら・・・・・。 アラ還です。 バブルとはほぼ関係ありませんでした。 美味しい思いをした人は、自分とは別次元の人という感じで、ふーん、そういう人もいたんだねという感じです。 唯一羨ましいと思ったのは、もうすぐ定年の人が「バブル時の貯金があるので何とかやっていけます」と言っていたことです。 バブル時老後の為に貯えられる程の潤いは無かったので、それは素直に羨ましいです。 テレビでバブル時贅沢三昧だった人が、今老後破綻状態なのを見て、こういう人は少なくないのだろうなと思いました。 「まさか生活が変わるなんて思ってなかった」と言っていました。 ガッツリ貯めてた人は賢明ですよね。 >おいしい思いのできるうちにしておけばよかった。 逆にもうできない贅沢を懐かしむ方が虚しく思えますけどね。 ずっと贅沢を継続している人は羨ましいけど。 ユーザーID: 2014512154• バブルの恩恵はみんなが受けたと思います 国の経済状況は国民全員に影響するので、バブル世代まっただ中じゃなくても恩恵を受けたし、トピ主さんもご本人の気づかないところでおいしい思いをしていた可能性はあるんじゃないでしょうか。 私もバブル最盛期は小学生から中学生でしたが、明らかに恩恵を受けていましたよ。 親が自営業だったので地方都市でもお金があふれていたのはこの目で見ていたし、親が潤っていたおかげで教育費に糸目はつけずいい学校に行かせてもらいました。 バブルのはじけた後だったら、絶対にあのような教育は受けさせてもらえなかったと思います。 よくおぼえているのは、日曜日の朝のテレビのCMが、ハワイのコンドミニアム投資だったことです。 普通にテレビ見てる庶民が外国に不動産投資とか、今では考えられないですよね。 とにかく世の中が明るくて、皆この先右肩上がりが続くと思っていた時代です。 2000年代に中国で仕事したのですが、その頃の中国は皆が希望に満ちあふれていて、バブルの頃の日本を彷彿とさせました。 お金持ちだけじゃなくて、普通に働いている人でも、これから人生がよくなるという希望がありました。 そういう希望のある時代を社会人として生きることができたって、それだけでおいしい思いをしたことになりませんか? ユーザーID: 7676870975• 野暮なツッコミだけど.
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