TBS系で13日に約13時間にわたって生放送される音楽特番『音楽の日2019』(後2:00〜翌朝5:00)出演アーティスト第3弾として15組が発表された。 さらに、恒例の5元中継の合唱企画にが出演することも決定。 全国5ヶ所総勢約300人の学生たちと名曲「乾杯」を合唱する。 第3弾で発表されたのは、、、、、、、、、、、、、、、の15組。 さらに、2016年に「大空と大地の中で」、17年に「栄光の架橋」、18年にEXILE「道」と続いてきた合唱企画に今年は長渕が参加することが決定。 東京・赤坂のスタジオ、岩手・釜石市の釜石鵜住居(かまいしうのすまい)復興スタジアム、長崎・五島列島、富山・五箇山(ごかやま)、瀬戸内海のビーチの5ヶ所を中継で結び、「乾杯」を合唱する。 長渕は「心を一つに、全国の若者たちと一緒に日本中に届けられればと思います」とのコメント寄せた。 メドレー企画の一部も明らかに。 応援歌のカバーメドレー企画ではのが「ultra soul」を、三浦大知は「キラキラ」をカバーすることが既に決定している。 ダンスメドレー企画ではDA PUMP昨年の大ヒット曲「U. 」を、は「インフルエンサー」と鈴木雅之とのコラボで「め組のひと」を踊る。 7月13日の『音楽の日』、僕も出演します。 今年のテーマは汗ということで全国の10代の若者たちと一緒に「乾杯」を大合唱します。 東京・長崎・広島・富山、そして岩手を中継でつないで300人でやります。 心を一つに、全国の若者たちと一緒に日本中に届けられればと思います。 それでは7月13日の土曜日『音楽の日』で会いましょう。
次のMEMOピアノを習っていた影響で歌が入っていないクラシックなどをよく聞いていたそうですが、家族の影響で古い歌謡曲やジャズ、ロックなど歌が入っている曲を聞くようになったそうです。 そして、中学生時代にはバンド活動をスタートさせました。 ただ、バンドは続かず解散を繰り返し、高校時代には軽音部に所属し、いろいろなバンドを掛け持ちするというスタイルで音楽活動をしていたそうです。 軽音部では様々な楽器を担当していたようで、 その感性が今の音楽作りにも影響しているように感じられます。 椎名林檎さんと言えばギターを掻き鳴らす姿をイメージしますが、他の楽器の腕前も気になりますね。 学生時代からコンテストやオーディションにも参加するようになったようで、なんとホリプロタレントスカウトキャラバンにまで出場したことがあるとか。 また、ライブハウスでも活動し、本格的に音楽と生活を共にするようになっていきました。 その結果、 高校生活は2年で終わりを迎えます。 音楽1本で生活をしていきたいと考えた椎名林檎さんは、高校2年の3学期を以って高校を中退。 ピザ屋や警備のアルバイトをしながらデモテープを作り、営業していたようです。 様々なコンテストに出場していたところ、 大会関係者にソロ転向を勧められソロとして活動するように。 椎名林檎としてデビュー 「椎名林檎」として出場した大会で「ここでキスして。 」を歌い、結果優秀賞を受賞。 レコード会社と契約を結び、 20歳のときに1stシングル「幸福論」でデビューしました。 「椎名林檎」の名前は芸名で、ビートルズのリンゴ・スターに憧れており、 そこから名前を取って「椎名林檎」としたようです。 MEMO本来は、活動休止中ということで会社側はベストアルバムをリリースする予定でしたが、椎名林檎さんの提案があり、カバーアルバムを発売することになったようです。 2003年1月、復帰後初のシングル「茎 STEM 〜大名遊ビ編〜」をリリースし、 オリコン1位を記録しました。 ファンも復帰を待っていたのが伺え、その年にはライブツアーも行うなど、積極的な活動が始まりました。 また、この頃に鼻の下にあったほくろを手術にて除去しているようです。 このほくろは、彼女のトレードマークであり 「セクシーな女性に憧れてほくろを描いていたら本物になった」とインタビューで語るくらいファンの間でも有名なものでした。 気分転換もあったのでしょうか。 ちなみに、現在ではほくろが復活しています。 復活を遂げ、ライブツアーやイベント活動をしてきた椎名林檎さんですが、2003年11月にNHKみんなのうたで放送された「りんごのうた」を発売するとともに一旦ソロ活動を休止します。 バンド「東京事変」開幕 2003年にソロ活動を休止した椎名林檎さんは、 翌年の2004年、バンド「東京事変」の活動をスタートさせました。 東京事変での活動は、さらに自分自身がやりたかった音楽を追求したような楽曲が多く発表されたように感じました。 メンバーチェンジをしながらもフェスやイベントに精力的に参加し、アルバムを発売すればオリコン1位!!バンドになっても人気は健在です。 2008年、椎名林檎さんがソロ活動を再開するのと同時にバンドとしての活動は少なくなりましたが、その間、他のメンバーは自分たちの活動に専念していたようです。 その後もアルバム発売やツアーを実施していましたが、 2012年閏年に惜しまれながらも解散しました。 しかし、 2020年閏年、東京事変としての活動が再開するとの知らせが日本を駆け巡りました。 閏年に解散して、閏年に復活なんてカッコよすぎませんか?これからの活動も楽しみですね! 東京事変活動中のソロ活動 東京事変というバンドを結成し活動しながらも、 椎名林檎名義のソロ活動も行っていました。 特に世間を賑わせたのは映画「さくらん」の音楽監督を務めたことではないでしょうか。 劇中歌や主題歌も椎名林檎さんが手掛け、鮮やかな映像に華を添えました。 2008年には椎名林檎さんのデビュー10周年という記念イヤーということもあり、 デビュー10周年企画を始動。 コンピレーションアルバムや映像作品のリリース、3日間に渡るソロライブを行っています。 また、2011年11月には連続テレビ小説「カーネーション」の主題歌を描き下ろし、 この曲で初の紅白歌合戦出場をしています。 デビュー当時から世間の注目を浴び続けてきた椎名林檎さんですが、意外と紅白歌合戦の出場経験はなかったんですね。 このときの紅白歌合戦には東京事変のメンバーも参加し、椎名林檎名義の「カーネーション」と東京事変のナンバー「女の子は誰でも」をメドレーとして披露しました。 東京事変としての活動中でも自身のソロ活動も並行して行い、作品を発表し、フェスへの参加、ライブの開催などを精力的に行っているのは音楽と共に生きている椎名林檎さんらしい活動ではないでしょうか。 バンド解散後の活動 2012年に東京事変が解散し、 椎名林檎名義の活動がメインとなります。 5月に「自由へ道連れ」を配信限定シングルという形でリリースします。 2013年にはデビュー15周年企画を始動し、音楽作品、映像作品を次々とリリース。 その年にはファンクラブ限定ライブを行っており、この年には女児を出産したことをライブ会場で直接ファンに伝えています。 デビューの節目節目でこういった企画を作り、ファンが期待している以上の活動をしてくれるのはファンにとってありがたいことですよね! 2015年は初の海外公演を台湾にて開催。 2016年にはリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック閉会式から2020年開催の東京オリンピックへ五輪の旗を引き継ぐフラッグハンドオーバーセレモニーの企画に関わるなど、ワールドワイドな活動が目を引きます。 日本だけでは収まりきらない椎名林檎さんの音楽人としての活動がこれからも楽しみです。 椎名林檎の魅力 彼女の魅力は「誰にも真似できない世界観」を、デビュー以前からずっと作り続けているということではないでしょうか。 曲を聞いたとたん、 彼女が作る物語の中に包まれてしまうような感覚になります。 MEMO特に彼女が作り出す歌詞は、日本語の素晴らしさと曖昧さを絶妙に表現しており、今まで世間が目を背けてきた「人間臭さ」「リアルな現実」を余すところなく歌詞で表現しています。 世間が声に出すことができなかった感情を、代わりに楽曲として世の中に送り出してくれる。 自分が心の底に隠していた、自分が見たくなかったものを美しく、ときには泥臭く表現してくれるのが「椎名林檎の音楽」なのではないでしょうか。 ちなみに、多くの言葉を知っていることから読書好きかと思われることが多いようですが、 よく読んでいるのは「辞書」だそうです。 楽曲もジャズやロックなど様々なジャンルの楽曲があり、一括りで椎名林檎さんの世界は表現できません。 しかしどんな曲調でも、 どこかに「椎名林檎らしさ」は必ず残っているように思います。 また、椎名林檎さんは様々なアーティストへの楽曲提供をしています。 柴咲コウさん、林原恵さん、SMAP、石川さゆりさんなどジャンルを問わない楽曲のバリエーションを見せています。 そして、自身の兄である椎名純平さんを始め、宇多田ヒカルさん、宮本浩次さん、トータス松本さんなど様々なアーティストと共演し、 プラスの化学反応を起こしながら、お互いを表現し合っています。 そして、 魅力的な音楽と一緒に楽しみたいのがファッションです。 椎名林檎さんのMVやライブ映像、テレビ番組で披露するファッションも作品の一部となっています。 特に驚いたのが、あるテレビ番組に出演したとき曲を2曲披露したのですが、どちらも全く違った衣装・コンセプトで出演していて、まるで別人かと思うくらいの仕上がりでした。 椎名林檎さんの曲を聴くときは、ぜひ映像も合わせて見てみてください。 さらに彼女の世界に浸れるでしょう。 1つのジャンルでは収まりきらない椎名林檎さんの才能。 音楽を奏でるために生まれてきたような女性だと感じます。 これからどんな音楽を聞かせてくれるのか期待が膨らみますね。 おすすめ曲 長く短い祭 2015年に発売された16枚目のシングルです。 デジタルサウンドとジャズ、テクノが融合されたような楽曲に、 まるで近代文学を読んでいるような歌詞がかっこいい1曲です。 日本語の表現や使い方に目を奪われます。 丸の内サディスティック 1stアルバム「無罪モラトリアム」に収録されています。 ジャズを思わせるようなメロディアスな曲調に反するような難解な歌詞が話題となり、 インターネットでは今でも考察がされています。 また、この曲をカバーするアーティストも多く、動画サイトには様々な「丸の内サディスティック」がアップされています。 人生は夢だらけ 2017年に発売されたセルフカバーアルバム「逆輸入〜航空局〜」に収録されています。 ミュージカル調で始まるこの曲は、 伸びやかな音楽と人間の心の底にある欲望を大切に守りたい。 そんな気持ちが表れているような歌詞が魅力です。 椎名林檎さんのおすすめ曲を紹介しましたが、彼女の音楽は色とりどりなので「これがおすすめ!」と絞ってしまうことがとても難しいです。 人によって好みも様々なので、必ず自分が好きな椎名林檎さんの楽曲があると思います。 また、セルフカバー曲もおすすめで、椎名林檎さんは、様々なアーティストに楽曲提供をしており、 それを自身が歌うことで新たな魅力が開花しています。 特に「おとなの掟」はドラマ「カルテット」の主題歌として松たか子さん、満島ひかりさん、高橋一生さん、松田龍平さんが歌いヒットしました。 椎名林檎さんバージョンではまた一味も二味も違った世界観が広がっていますよ。 まとめ デビュー当時から独特な世界観を持ち続けている椎名林檎さん。 「言葉を選ぶセンス、音楽の複雑さと華麗さ」には、女性としても1人の人間としても憧れがやまない女性です。 世間の流行や動きをうまく取り入れながらも、ブレない芯が通っている。 そんな彼女にファンは魅力を感じるのではないでしょうか。 1つのことに満足せず、新しいことにチャレンジし、周りをうまく巻き込みながら大きな風となって音楽シーンを揺さぶっている椎名林檎さん。 東京事変の活動も合わせて、これからの動きに目が離せなくなりそうです。
次の椎名林檎の最新アルバム『三毒史』が5月27日に発売された。 本作では、宮本浩次、トータス松本、向井秀徳、浮雲とのコラボレーションに加え、櫻井敦司(BUCK-TICK)や鍵盤奏者・ヒイズミマサユ機とのデュエット楽曲も収録。 椎名林檎本人へのインタビューを通じ、ゲストアーティストたちとの制作の背景に迫った。 Photo Gallery• 「私はリスナーとしても、デュエット曲がとにかく大好きなのです」 椎名林檎5年ぶり6枚目の最新アルバムはその名も『三毒史』。 仏教において克服すべきとされる代表的な煩悩の異名だ。 「『三毒史』では、この世に生を受け、欲を自覚して、渇望したり、絶望したり、しかし結局自ら学ぶ人の道を書きました」(椎名) 全13曲収録の『三毒史』は、2曲目の「獣ゆく細道」から、1曲置きに豪華なゲストボーカリストたちが参加している。 つまり本作はデュエットアルバムとしての側面も備えている。 「私はリスナーとしても、デュエット曲がとにかく大好きなのです」(椎名)• 椎名のデュエット曲への関心は、彼女の音楽性のルーツと紐づいている。 それはバレエ音楽を含むクラシック音楽、タンゴなどのラテン音楽、ソウル、R&Bといったブラックミュージックであり、またジャズを基調としたミュージカルナンバーや、映画のサウンドトラックでもある。 彼女は宮本浩次、トータス松本とのデュエットについてこう語っている。 「『目抜き通り』のボーカルはモータウンのマナーに則ったつもりです。 松本さんがマーヴィン・ゲイ、私はタミー・テレルになる覚悟で2声を書きました。 彼特有の泣き笑い声には、毎度感じ入ってしまいます。 一方、宮本さんといつかご一緒できる日が来るなら、レナード・バーンスタインの壮絶さを目指そうと長年イメージしていました。 元来、宮本さんが持つラテンフィールが解き放たれたらどうなるのかを聴いてみたかった。 『獣ゆく細道』でそれが叶い、やはり感激です」(椎名) マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルとは、1960年代後半に「ユア・プレシャス・ラブ」などのヒット曲を放ったモータウン・レーベル所属の名デュエットである。 東京事変の活動後期から急速にBUCK-TICKを愛聴、彼らのファンクラブにも入ったという椎名にとって、櫻井敦司の参加は満を持してのオファーだった。 「櫻井さんの低音からは、デヴィッド・ボウイをはじとするブリティッシュなグラム・ロックの耽美が香り立ちます。 「駆け落ち者」は、あのお声の魅力を凝縮することを目指し書きました。 スタジオでの櫻井さんの歌入れの際、「あんなに幅のあるビブラートの波形、初めて見た」と、井上雨迩(エンジニア)さんが驚いていらっしゃいました」(椎名)• 先頃、再結成が発表されたNUMBER GIRL時代からの同志である「同郷(福岡)のきまぐれなパイセン」(椎名)こと向井秀徳が参加した「神様、仏様」については、こんなエピソードが語られている。 「ZAZEN BOYSの「自問自答」(2004年)で歌われていた「行方知れずのアイツ」の模様を、初めて私なりに描こうと試みたアンサートラックです。 やっぱりリスナーが聴き慣れたご本人の語りは絶対にいただきたかったんです。 初めに「声素材ください」とお願いしたのはかれこれ15年程前。 これまでもレコーディングやツアーを共にしてきた浮雲、ヒイズミマサユ機は、どちらかと言えば前者はギタリスト、後者はキーボーディストとしての顔で広く知られてきた。 浮雲は長岡亮介名義で2005年から活動しているペトロールズでギターとリードボーカルをとっている。 同年、彼が加入した第2期東京事変においても、椎名は、度々、浮雲にボーカルを依頼してきた。 今や浮雲のボーカルは椎名ファンにも人気が高い。 「清涼感あふれる歌声」(椎名)が聴ける本作収録の『長く短い祭』におけるデュエットは、両者の関係性が結実させた大きな収穫と言えるだろう。 そしてヒイズミマサユ機だ。 椎名は彼の今回のボーカルを 「初めて彼の発声が、かつてのジョン・ライドンみたいだと気付いたのです。 やっぱり上品な不良がいい」と評している。 そんなヒイズミマサユ機のレアかつ新たな魅力を放つ歌声は、本作収録の「急がば回れ」で確かめてほしい。 向井秀徳以外のゲストはすべて午年生まれ。 ルーツの昇華。 同時代を共に生きるアーティストへのリスペクト。 作家としての秀逸な当て書き。 プロデューサーとしての眼力。 さらにはコンセプチュアルな茶目っ気精神。 こうした6曲のデュエットが持つファクターから『三毒史』を愉しむのもまた一興ではなかろうか。 (文/内田正樹) 作品情報.
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