せきへい。 石平 (評論家)

なぜ『論語』と儒教はまったく関係がないのか

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考古学における年代区分の一つ。 1970年代以降,あまり使われなくなった用語。 から金属器へのをさすが,厳密には,人類が初めて金属としてを発見し,とともにこれをとして使用していた時期をいう。 それゆえがされるまでの純と同義語に使用することもある。 のバダリー期,アムラー期,のハラフ期,,,のスーサI期,シアルクI期などがその代表で,銅製の武器,と,石・木製の日常利器といった傾向が認められる。 灌漑農耕, ろくろ の使用,車の発明とともに,富と権力を集中した祭司や戦士階級の発生,を中心とする町邑の形成期と考えられる。 日本では,に器とが同時に招来されたので,厳密な意味での金石併用時代は存在しないといえる。 しかし,金属器の使用が認められても,まだ石器使用段階として考えられる時期 たとえば弥生時代初期 にこの語をあてる研究者もある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 利器のに金属が用いられてはいても、石製の利器がまだ併用されている時代をいう。 しかし周辺諸地域では実用の利器の材料として石のに銅ないし青銅が用いられず、ただちに鉄が使われる場合がみられる。 日本の弥生 やよい 時代に例をとると、実用の利器にはもっぱら鉄が使用され、銅・青銅は象徴的な器具、宝器、装身具(鏡を含めた)などの財に用いられた。 銅鏃 どうぞく などもあるが、原料が量的に限られていたため、その使用も限られていた。 三時代法のたてまえからすれば弥生時代は初期の鉄器時代に該当しており、石製の利器も広く行われていた。 この事実を知悉 ちしつ していた浜田耕作は、eneolithic, chalcolithicの語を「金石併用時代」と意訳した。 浜田の意訳は、この術語に関する限り、きわめて適切であった。 時代と時代との間に過渡期が存することを認める学者で、かつ三時代法に依拠する人は、金石併用時代の存在を肯定している。 しかし、このような過渡的な時代を認めず、それを新石器時代末期または銅器時代初期(日本の場合には鉄器時代初期)とみなす学者も多い。 いずれの場合でも、肯定論、否定論とも、三時代法の延長線上にたっている。 学問の世界では、ある用語をそれが便利だからといって認めることは便宜主義に流れるものとして批判される。 その意味では、この「金石併用時代」といった概念は、明日の歴史学のためにも厳しく批判さるべき存在といえよう。

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中国出身の評論家・石平(せきへい)氏は、安倍首相の国防軍の...

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中国出身で日本に帰化済みの石平氏(56)のことを「外国人が日本を褒めるのは過剰同化」などと差別的に批判した古谷経衡氏(35)が大阪まで直接出向いて謝罪したことが分かった。 前回の記事: 2月24日、石平氏が事態を説明した。 皆様にご報告です。 古谷経衡氏との一件、今日の昼前、ご本人は仲介に当たった某月刊誌編集長と一緒に東京から大阪市阿倍野区の私の事務所の近くに来て、私に対し「申し訳ございません」とのお詫びを入れました。 私としてはこれを持って、今回の件を終わりにしたいと思います。 皆様には心から感謝! 古谷経衡氏は当初、謝らない姿勢を貫いていたが、ここにきて一転、自らの非を認めた形になる。 しかしそれにしても服装と髪型をみるに35歳にもなる社会人が謝るときにする格好ではないように思えるが…。 論争が起きた経緯を辿ってみると古谷経衡氏が一方的にいちゃもんをつけ始めたように見える。 しまいには「高校2年位の知識量」などという幼稚な煽り文句も飛び出していた。 結局、謝罪するのならはじめから喧嘩を売らなければいいのに。 わざわざ和解の証拠としてツーショット写真をとってもらった古谷経衡氏は何を考えていたのか。 他人に厳しく自分に甘く。 典型的な評論家という感じだ。 日頃のTwitterでの強気な発言は単なるネット弁慶だったということなのだろうか。 この一件について百田尚樹氏は裏話も含めて古谷経衡氏をバッサリと切り捨てる。 最初、石平氏が怒って「直接会って話そう」と申し入れたのに、古谷氏が「必要ない」と拒否したと聞いている。 で「高校2年程度の知識で…」とか散々バカにしたツイートをしておいて、形勢がよくなくなってきたと見るや、某社の編集長を保護者代わりに大阪まで謝りに行く始末。 全然カッコよくない! — 百田尚樹 hyakutanaoki いきなり失礼な言辞を投げつけて、相手から注意されたら、「やるのか、来いや」と逆ギレ。 しかし、ケンカする相手が強いとわかると、最後は「ごめんなさい」か。 石平さんが、大人でよかったね。 — 百田尚樹 hyakutanaoki 月刊誌編集長というのは誰のことだろう…。 仲介役を頼むのはいいにしても、謝罪は一人で行けばいいのに…。 古谷経衡氏のエピソードとして記録に残すためこの記事を書いている。

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<<評論家の石平(せき・へい)氏は近著『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』にて、多くの日本人が常識だと考える「論語=儒教」に対して、疑問を呈している。 自身が幼少の頃に、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接し、のちに儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱くようになったことで、この結論にたどり着いたのだという。 ここでは石平氏の主張の一端を同書より紹介する。 孔子は儒教の「教祖」ではない! 孔子は、人生経験が豊富な常識人ではあるが、いわゆる哲学者でもな ければ聖人でもなく、宗教家や「教祖様」のような存在とはなおさら無縁の人間であった。 そして『論語』という書物は、人生の指南書として大いに読むべきものであっても、哲学の書であるとは言えないし、いわゆる聖典でもなければ宗教の教典でもなかった。 言ってみれば、孔子という知恵者の長者が、弟子たちに向かって賢明な生き方や学び方や物の見方を諄々と語り教える、それが『論語』という書物のすべてであった。 しかし後世になって成立した儒教において、孔子は「聖人」や「至聖」に持ち上げられ、儒教の「教祖様」のような存在に祭り上げられた。 さらに後世になって成立した儒教教典の「四書五経」では、『論語』も儒教の聖典の一つに位置づけられ、科挙試験に必須の教科書となって、読書人であれば誰もが恭しく「拝読」しなければならない一冊となった。 もちろん、後世の儒教において孔子が「聖人」に奉られたことも、『論語』が聖典に持ち上げられたことも、それらは全部、孔子の与(あずか )り知るところではない。 孔子にとってそれは甚だ不本意なことであろう。 というのも、後世において誕生し成立した儒教は、孔子を「教祖」と祭り上げながらも、実際には孔子や『論語』とは関係の薄い教学だったからである。

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