みつびしufj。 沿革

三菱UFJ銀行

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三菱UFJフィナンシャル・グループのみんかぶ目標株価は「592円」で【買い】と評価されています。 みんかぶリサーチによる株価診断では【割安】 理論株価 628円 、証券アナリストによる予想では【買い】 予想株価 576円 、個人投資家による株価予想では【買い】 予想株価 579円 と判断されています。 三菱UFJフィナンシャル・グループは、【銀行、JPX日経400、TOPIXコア30】などのテーマ銘柄です。 【ご注意】『みんなの株式』における「買い」「売り」の情報はあくまでも投稿者の個人的見解によるものであり、情報の真偽、株式の評価に関する正確性・信頼性等については一切保証されておりません。 また、東京証券取引所、名古屋証券取引所、China Investment Information Services、NASDAQ OMX、CME Group Inc. 日経平均株価の著作権は日本経済新聞社に帰属します。 『みんなの株式』に掲載されている情報は、投資判断の参考として投資一般に関する情報提供を目的とするものであり、投資の勧誘を目的とするものではありません。 これらの情報には将来的な業績や出来事に関する予想が含まれていることがありますが、それらの記述はあくまで予想であり、その内容の正確性、信頼性等を保証するものではありません。 これらの情報に基づいて被ったいかなる損害についても、当社、投稿者及び情報提供者は一切の責任を負いません。 投資に関するすべての決定は、利用者ご自身の判断でなさるようにお願いいたします。 個別の投稿が金融商品取引法等に違反しているとご判断される場合には「」から、同委員会へ情報の提供を行ってください。 また、『みんなの株式』において公開されている情報につきましては、営業に利用することはもちろん、第三者へ提供する目的で情報を転用、複製、販売、加工、再利用及び再配信することを固く禁じます。

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三菱UFJフィナンシャル・グループの新社長に就く亀澤宏規・副社長(左)と、三毛兼承・現社長(右)(記者撮影) 「(銀行が持っている)信頼やブランドはうかうかしているとなくなってしまう。 これらが保たれているうちにイノベーションを作っていかないといけない」 三菱UFJフィナンシャル・グループ MUFG の次期社長となる亀澤宏規副社長(58歳)は会見で危機感をのぞかせた。 有力視されていた亀澤氏のトップ就任 MUFGは4月1日付けで、三毛兼承・現社長(63歳)に代えてMUFGのデジタル化を担当する亀澤宏規副社長を社長に昇格させることを決めた。 亀澤氏は東京大学理学系修士課程を修了しており、メガバンク初の理系トップ誕生となる。 三毛氏は兼任する三菱UFJ銀行頭取の業務に専念する。 今回の決定前から、三毛氏の後任の有力候補は亀澤氏が有力視されていた。 ただし、事前観測では、亀澤氏が就くのは持ち株会社であるMUFGでなく、傘下の三菱UFJ銀行の頭取という見方が多かった。 それもそのはず。 2005年10月に発足したMUFG社長は全員、三菱UFJ銀行(2018年3月までは三菱東京UFJ銀行)の頭取を経験していたからだ。 亀澤氏の3代前に当たる永易克典氏は東京大学卒業後、三菱銀行に入行。 2008年に三菱東京UFJ銀行の頭取に就任し、2010年からMUFGの社長を兼務した。 後任の平野信行氏は京都大学出身だ。 三菱銀行に入行し、2012年に頭取に就任。 2013年からMUFGの社長を兼務している。 平野氏の後を継いで2016年に頭取に就任した小山田隆氏は、体調不良を理由に1年余りで頭取を退任。 後任として2017年に急きょ頭取に就いたのが三毛氏だった。

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1919年(大正8年)設立。 岩崎彌太郎によって創設された九十九商会を発祥とする 「三菱合資会社銀行部」が前身。 「社会への貢献、フェアプレー、グローバルな視野」 岩崎彌太郎によって創設された九十九商会を経て、1880年に三菱為替店が誕生。 これが三菱銀行の始まりである。 その後、三菱合資会社 銀行部などを経て、1919年(大正8年)、三菱銀行設立。 日本の産業、近代化を支え続けた。 「企業の私的利益に甘んずることなく外国資本と対等に競争し、国民の期待に応える」という岩崎彌太郎の気概は、「三綱領」として、現在まで受け継がれている。 貿易の進行と取引の円滑化のため、世界各国に拠点を 持っていた「横浜正金銀行」が前身。 「国際金融のパイオニア」 1880年(明治13年)、貿易の振興と取引の円滑化をめざして、横浜正金銀行が設立。 1884年(明治17年)に開設したロンドン支店を皮切りに、サンフランシスコ、ニューヨーク、ブエノスアイレス、シアトル、パリ、ベルリンなど、世界各国に拠点を拡大しつづけた。 結果、イギリスのチャータード・マーカンタイル銀行、香港上海銀行と並ぶ、世界三大貿易銀行と称される。 その後も海外ネットワークの開拓に懸命な努力を重ね、グローバルビジネスの先導者でありつづけた。 その実績と使命を受け継ぎ、戦後日本の国際金融を牽引するため、1946年(昭和21年)に設立されたのが、東京銀行である。 国際金融市場における卓越した金融機能とノウハウは、現在の三菱UFJ銀行に脈々と受け継がれている。 大阪を中心として、関西圏の商業・生活に深く根付いた 「三十四銀行」「山口銀行」「鴻池銀行」の 合併により誕生。 「ピープルズ・バンクを貫く」 1933年(昭和8年)、三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の合併により、三和銀行が誕生。 この三銀行は、いずれも明治初期に設立され、大阪を中心とした関西圏に深く長く根付き、商業だけでなく、個人のお客さまにも高い実績があった。 そこには、公共的な立場から幅広い取引層を持ち、国民大衆とともに歩み、ともに発展する銀行、「ピープルズ・バンク」という理念がある。 高度経済成長期の重化学工業化や国際化においても、関連の中小企業をも含めた、裾野の広い取引に努めるとともに、「世界の人々のお役に立つ銀行」をめざした国際業務を展開。 またリテール分野において、ネットサービス預金や暮らしのローンサービスなど、当時としては非常に斬新なサービスを開発・提供していた。 「あらゆる人々のお役に立つ銀行でありたい」という三菱UFJ銀行の姿勢は、ピープルズ・バンクから生まれている。 愛知県内で高い実績を残してきた 「愛知銀行」「名古屋銀行」「伊藤銀行」の 合併により誕生。 「愛され、親しまれ、頼りにされる場所へ」 1941年(昭和16年)、愛知県内で明治時代から高い実績を残してきた愛知銀行、名古屋銀行、伊藤銀行の3行が合併し、東海銀行が創設。 創設当初から、愛知県下唯一の本店都市銀行として、地域の産業と人々の暮らしを支えるために、なくてはならない使命を担っていた。 また東海銀行は、経済・社会がどう変わろうとも、お客さまのお役に立ち信頼を得ていくことを第一義とする、ピープルズ・バンクを標榜。 しかし、設立半年後に第2次世界大戦が勃発。 戦後の復興期をようやく乗り越えた昭和34年には、死者・行方不明者4,400人余りという伊勢湾台風に襲われるが、大災害にも地元の復興に尽力し、未来を切り開くことができた。 そこには、地域の人々から愛され、親しまれ、頼りにされる銀行をめざす、強い信念があった。 その信念を引継ぎ、三菱UFJ銀行は、人のため、地域のために信頼される銀行をめざしつづけていく。

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