タランティーノ。 クエンティン・タランティーノとかいう映画監督「最高傑作が処女作のレザボア・ドッグスな模様」「は?パルプフィクションだろ?」 2chタランティーノ映画まとめ

クエンティン・タランティーノ監督作品 おすすめランキングTOP10!!

タランティーノ

主人公である元西部劇スター、リック・ダルトンを演じるのはレオナルド・ディカプリオ。 2012年のタランティーノ監督作『ジャンゴ 繋がれざる者』で悪役・カルヴィン・キャンディを熱演し、新境地を開いたディカプリオは、今回タランティーノとは二度目のタッグとなります。 ディカプリオが演じるダルトンは、1960年代から2018年に死去するまで活躍しつづけたバート・レイノルズにインスパイアされたキャラクターだとか。 レイノルズは『さすらいのガンマン』 1966 に主演するなどタフガイのイメージで大人気を博しましたが、一時はプライベートのスキャンダルにより人気が低迷。 その後、1997年の『ブギーナイツ』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、復活を果たした俳優です。 2019年5月21日 フランス現地時間 第72回カンヌ国際映画祭にて、本作のレッドカーペットイベントと公式上映が行われました。 タランティーノ監督をはじめ、ディカプリオやピット、ロビーらがレッドカーペットに登場するとフラッシュの嵐が。 タランティーノは「映画はハリウッドの変化を表していて、劇中ではその黄金時代のことが語られている」と作品を説明。 キャスト陣は本作に出演できたことに改めて感謝を述べ、その出来栄えに自信をのぞかせました。 公式上映後には、客席からスタンディング・オベーションが沸き起こり拍手は6分間もつづいたとか。 その高評価は批評面でも顕著で、米大手映画レビューサイトRotten Tomatoesでは批評家からの評価で80%フレッシュを獲得。 また、インターネット・ムービー・データベース IMDb でも星10個中8. 1個と高評価を獲得しています。 本作の舞台は、映画産業華やかなりし1969年。 時代背景として忘れてはいけないのが、ベトナム戦争です。 アメリカ国内でこの戦争に関する賛否は真っ二つに分かれており、反戦を訴える若者たち「ヒッピー」の活動が盛んになりました。 平和主義で理想主義を掲げたヒッピーは自給自足の生活をしており、一般の人たちからは「働いていない」と白い目で見られていたようです。 なかにはドラッグを常用しているグループもあり、さらに疎んじられる存在に。 シャロン・テート殺人事件の犯人であるマンソン・ファミリーも、もともとはヒッピーのグループです。 リーダーのチャールズ・マンソンのもとでカルト化し、本作のモチーフになっているシャロン・テート殺害事件のほかにも、数々の残忍な事件を起こしました。 1960年代後半から70年代前半にかけて数多く制作されたマカロニウェスタン。 イタリアで制作された西部劇であるこのジャンルは、英語では「スパゲッティウェスタン」と呼ぶのが一般的です。 イタリアの映画監督セルジオ・コルブッチが初めて制作してから急速に広がったこれらの作品群は、アメリカのものとは大きく違っていました。 アメリカでは善人が主人公で清々しいストーリーのものがメインでしたが、マカロニウェスタンの主人公は暴力的で、ほかの登場人物も基本的にアウトローです。 その後、ハリウッドのプロダクションが制作費を安く抑えるため、駆け出しや落ち目の俳優を起用して、イタリアで撮影を行うスタイルも増えました。 そんなマカロニウェスタンに出演していた俳優のなかには、クリント・イーストウッドやバート・レイノルズなど、のちにハリウッドの大物になる人物もいました。 一時は人々からちやほやされていましたが、いまやテレビシリーズで一話限りのゲスト出演の仕事しかなく、しかも悪役ばかり。 以前の当たり役のイメージから抜けられず、若い俳優の人気を上げるために利用される存在になってしまいました。 そんな俳優の姿に、私たちも見覚えがあると思います。 一方でマーゴット・ロビー演じるシャロン・テートは、仕事も私生活も絶好調。 これからさらに知名度が上がっていくことが約束された若手女優です。 彼女はかつてリックたちが経験したであろう贅沢な生活を送っていますが、自分の成功や人気に執着する気持ちはリックと同じであることが映画館のシーンからわかります。 ネタバレを見る 本作でもっとも実際の事件と違うのはクライマックス。 マンソン・ファミリーのメンバーたちが押し入った、かつて「テリー」という人物が住んでいた家は、リックの家だということです。 映画序盤で、マンソンはターゲットであるテリーがもうそこには住んでいないことを知りましたが、それでもなぜか「今いる住人を皆殺しにしろ」と4人に命令しました。 そのうちひとりは、怖気づいて家に踏み込む前に逃げてしまい、残った3人で命令を実行することに。 しかしリック宅に押し入った彼らは、そこにいたクリフによって返り討ちにされてしまいます。 本作では、シャロン・テートは死ななかったのです。 このシャロン・テート殺人事件はハリウッドの黄金期を終わらせたといわれており、この結末はタランティーノの願望なのかもしれません。 そして事件の収拾がついたあと、リックはテート宅に招かれます。 彼女と親しくなることは、リックにとっては起死回生のチャンス。 しかし、エンドロール中にはリックがタバコのCMを撮影するシーンがあり、彼がスターに返り咲いたかはわかりません。

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音から生まれる物語 ~ 音楽と切り離せないクエンティン・タランティーノの映画|ミュージックソムリエ|TAP the POP

タランティーノ

現代を代表する巨匠のひとりとなったクエンティン・タランティーノ。 これまでの軌跡を網羅的に紹介したが6月26日に刊行されます。 幼年期から青年期の映画への熱狂から、『パルプ・フィクション』での批評的・興行的成功を経由し、孤高の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に至るまで……。 映画にすべてを売り渡した天才の魂をめぐる最新評伝。 今回のためし読みでは、本書の「まえがき」全文を公開いたします。 私たちはそのときようやく、自分たちが相手にしている者のすごさを理解した。 もちろんさまざまな噂は誰もが耳にしてはいた。 前年の春にカンヌで大勝利をおさめた元レンタルビデオショップ店員にまつわるあの喧伝を聞き逃すことなど不可能だったのだから。 実際の話、この時アメリカとヨーロッパの両大陸で巻き起ころうとしていたタランティーノ現象は、私たちイギリスのマスコミにも周知の事実だった。 私はその2年前にロンドン映画祭で『レザボア・ドッグス』の惨憺たる試写会に出席していたが、Mr. ブロンドがカミソリを振るったところで、嫌悪感に口を曲げながらかなりの人数の観客が立ち上がり劇場を後にしている。 一方で、残った私たちの方は、ゾッとしながらも心を奪われ、座席で身動きひとつとろうとさえしなかった。 『レザボア・ドッグス』は凄みのある作品である、という事実は誰もが認めるところだろう。 しかしロンドンで『パルプ・フィクション』が上映されたあの夜の試写会は別格で、私にとっても、あんな体験をしたのはあの一度きりだ。 それは礼儀正しい映画の上映会などではなく、アドレナリン沸き立つロックコンサートか、容赦なく急上昇しては急降下するジェットコースターか、または、ハードなドラッグを一発かましたようなものだった。 それはアマンダ・プラマーが狂ったように拳銃を振り回し、ディック・デイル&デルトーンズが奏でる「ミザルー」(最後までしっかりとそして軽薄に残り続けるあの楽曲)のサーフ・ギターの音色が波うった瞬間からタランティーノオタクとなった者たちの、アルファギーク友愛会入会儀式といったところだ。 コンセントに差し込まれて感電したかのように、自然発生的な喝采があの会場を渦巻いた。 上:『レザボア・ドッグス』の撮影時にハーヴェイ・カイテルと会話するクエンティン・タランティーノ。 この映画はタランティーノの監督処女作だったが、これほどの蒼々たる顔ぶれを相手にしても平然と仕事をしていた。 彼のDNAにはフィルムメイカーとしての自身の才能にたいする強い信念がしっかりと書き込まれているに違いない。 ヴィンセント(ジョン・トラヴォルタ、その手は観客の涙をさそうほどビビって震えている)が、ミア・ウォレス(ユマ・サーマン、彼女の青白い顔は血とヘロインで汚れている)めがけて、サイの皮膚さえ貫けそうな皮下注射針を突き立てようと構えた時、そこには純粋な悲鳴が沸き起こったが、その畏怖とスリルは、特殊効果によって生み出されたものではない。 それは恐ろしさとユーモアが入り混じった何かによって生み出されていた。 私たちは腹をよじって笑ったのだ。 その夜、私たちは劇場を後にしながら、まるで覚醒したような気分になっていた。 1作目から、そしてあの2作目でも、また今でもずっと、タランティーノはまったく彼独自のやり方を曲げることなく作品を創作するアーティストだ。 たとえ頭に銃を突き付けられたとしても、創作のルーティンを変えることなどできないのだろう。 タランティーノはタランティーノにしかなり得ない。 おしゃべりな性格という値札のついたあのクエンティン・タランティーノにしかなり得ないのだ。 彼の逸話は伝説になった。 カウンターに座り、カルト映画の名作やヨーロッパの映画作家の肩を持って論じていたカリフォルニア州マンハッタン・ビーチにある一風変わったレンタルビデオ店から、一夜にして、マーティン・スコセッシ以来のダイナミックな映画の代弁者となった。 もちろん実際のところは、それよりもずっと複雑で、ずっと興味深い成り行きなのだが、要点としてはまあ間違ってはいない。 この伝説は希望を抱くアウトサイダーたちに一縷の望みをもたらせている。 そこがタランティーノ伝説のカギで……彼には楽観主義がついて回っている。 彼は映画オタクたちの救世主となった。 上:ユマ・サーマン演じるミア・ウォレスと「5ドルもするミルクシェイク」。 『パルプ・フィクション』の大勝利によって、タランティーノが単なる一発屋ではなく、芸術と商業を結びつける革命児であることが明らかになった(しかも彼は今なおそれを継続中だ)。 代弁者たる彼は、ものすごい数の映画で出来上がった人間だ。 これまで作られた全ての映画を彼は観たのだろうか? そこまでではないにせよ、それに近いところまでいっているのではないだろうか。 彼の血管には映画フィルムが流れている。 カミソリで切ったら、きっと映画が流れ出てくるのだろう。 彼の(今のところの)一番のお気に入り映画は『続・夕陽のガンマン』だが、どんな作品も拒むことをしない彼は、ドライブインシアターで上映されるどぎつい煽情的な映画にも、単館上映の珠玉の芸術作品と同じくらい多くの良さを見い出すことができる。 ありがたいことに、彼はずっとそのカルトぶりを保ち続け、成熟させて続けていて、決して妥協はしない。 彼のベスト作品とは常に彼の最新作であり、私がこの章を書いている現時点では、最新作にあたる8作目の『ヘイトフル・エイト』(2015)がベストだ。 彼は矛盾で出来上がっており、その矛盾はハリウッドには決して解くことができないものだ。 彼は矛盾で出来上がっており、その矛盾はハリウッドには決して解くことができない矛盾だ。 芸術と商売、馬鹿話と人間性、暴力と笑い、それぞれが結ばれたマリアージュ。 どのストーリーも、巧みな術策が凝らされていながらも、リアルに感じられるものばかりだ。 映画というイリュージョンに人生のリズムを吹き込み、そこから何が生まれるのかを見極める才能が彼にはある。 彼はいつも大好きなジャンルを歪曲させながらそこに自らのストーリーを入れ込んでいる。 そんな彼がいつも規範としているジャンルは、犯罪映画、ホラー映画、ウエスタン映画、戦争映画(それらに属するサブジャンルも含む)だ。 とは言いながらも、本質的には、人間の愚行や差別意識について描いた映画であったり、コミュニケーションや言語や暴力や人種や暗黒街の倫理や正義の怒りを描いた映画であったり、形態を作り直しながら時代と共に舞い踊ることを描いた映画であったり、アメリカという名の大難問を描いた映画であったりもする。 大勢のフィルムメイカーが自らの創作プロセスについて語ることに苦しむものだが、それとは違い、インタビューされるタランティーノの答えは超明瞭だ。 どの問いに対する答えも、すでに頭の中で書き上げた自伝の一節を引用しているかのように明快なのだ。 タランティーノであることについて、タランティーノ以上に適した存在はいない。 そこには滝のようにあふれる自我があり、また、それに見合うだけの精力がある。 ただし、気をつけなければならないのは、彼自身もまた自らの神話を作ろうとしているという事実であり、実はそこが面白いところでもある。 本書は彼のこれまでのキャリアを祝福する本であると同時に、まだ比較的少ないと言える彼の作品同士の繫がりや繫がりのなさについての答えを、また、彼のインスピレーションとなっているあらゆるものについての答えを一気に噴き出してくれる消火栓がどこにあるのかを解読しようという試みでもある。 彼が有言実行の徒であることについては議論の余地はない。 作品を作る度に新たな何かを加え、論争を求めながら(そしてまた、暴力、人種差別、倫理観の汚染[彼の映画は見かけによらずとても倫理的だ]についての非難を面倒くさそうに払いのけながら)、彼はこの25年の間、映画界屈指の意味深く忘れがたい作品を作り続けてきた。 『パルプ・フィクション』でトラヴォルタが演じるひどくせんさく好きな殺し屋ヴィンセントの言葉を借りるなら、それは「プリティ・ファッキン・グッド・ミルクシェイク」 [2]なのである。 [出典] 1:Gavin Smith, Film Comment, August 1994. プロフィール イアン・ネイサン Ian Nathan イギリスで広く知られる映画ライター。 本書以前には、リドリー・スコットの名作『エイリアン』の歴史について著したベストセラー『エイリアン・コンプリートブック』『スティーヴン・キング 映画&テレビ コンプリートガイド』(以上、竹書房)をはじめ『ティム・バートン 鬼才と呼ばれる映画監督の名作と奇妙な物語』(玄光社)、『魔法への招待:『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』メイキング・ブック 』(ハーパーコリンズ・ジャパン)など、計8冊の書籍が出版されている。 世界最大の映画雑誌「エンパイア」の編集者およびエグゼクティブ・エディターをつとめた後、現在は寄稿編集者として引き続き同誌に貢献している。 他にも「タイムズ」紙、「インディペンデント」紙、「メイル・オン・サンデー」紙、「カイエ・デュ・シネマ」誌、スカイ・アーツ・チャンネルのドキュメンタリー・シリーズ「ディスカバリング・フィルム」などに定期的に貢献している。

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ランキング14!クエンティン・タランティーノおすすめ映画作品一覧※監督作10+その他4│天衣無縫に映画をつづる

タランティーノ

クエンティン・タランティーノ クエンティン・ジェローム・タランティーノ(英: Quentin Jerome Tarantino、1963年3月27日 — )は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優。 1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。 脚本も書き、自身の作品に俳優として出演もする。 アカデミー脚本賞とカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。 日本での愛称: タラ、タラちゃん。 レンタルビデオショップ店員時代に、大量の映画に埋もれ働きながら脚本を書いた。 この当時に培った映画の知識が、後の映画制作に役立っている。 主にアジアを中心としたマニアックな映画・日本のアニメ・音楽に精通している。 シネフィルを自称する。 タランティーノの作風は、自身の映画趣味が随所に見受けられる。 パロディ・オマージュ・引用のほか、千葉真一やパム・グリアなどタランティーノが熱狂的なファンである俳優を出演させている。 日本のアニメにも造詣が深く、『攻殻機動隊』や『BLOOD THE LAST VAMPIRE』がお気に入り。 『キル・ビル』ではこの2作品を手がけたアニメ制作会社「プロダクション・アイジー」に直談判のため、同社を自らアポなしで訪れてアニメパートの制作を依頼している。 「意味のない話」を延々と続ける演出が特徴で、2007年の『デス・プルーフ in グラインドハウス』では、それがストーリーの半分を占めている。 インタビューで「現実とは関わりのないポストモダンで自己言及的、他からの引用にあふれたアートを作っており、一種のフォルマリズム的ゲームをしているだけなのでは」というのに対して、関心はつねに「ドラマとして魅力的な物語を語る」ことにあると答えている[16]。 引用・出典:.

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