こんな 夜更け に バナナ かよ ロケ 地。 「こんな夜更けにバナナかよ」ロケ地や撮影場所はどこ?

映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」/札幌市

こんな 夜更け に バナナ かよ ロケ 地

解説 筋ジストロフィーにかかりながらも自らの夢や欲に素直に生き、皆に愛され続けた実在の人物・鹿野靖明さんと、彼を支えながらともに生きたボランティアの人々や家族の姿を描いた人間ドラマ。 大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した書籍を原作に、「ブタがいた教室」の前田哲監督がメガホンをとり、大泉洋が主演を務めた。 北海道の医学生・田中はボランティアとして、身体が不自由な鹿野と知り合う。 筋肉が徐々に衰える難病・筋ジストロフィーを12歳の時に発症した鹿野は、いつも王様のようなワガママぶりで周囲を振り回してばかりいたが、どこか憎めない愛される存在だった。 ある日、新人ボランティアの美咲に恋心を抱いた鹿野は、ラブレターの代筆を田中に依頼する。 しかし、実は美咲は田中と付き合っていて……。 医学生・田中を三浦春馬、彼の恋人・美咲を高畑充希がそれぞれ演じる。 2018年製作/120分/G/日本 配給:松竹 スタッフ・キャスト まずタイトルがいい。 主人公は筋ジストロフィー患者の鹿野さんだが、振り回されるボランティアの視点で語られることが端的に示される。 原作の著者、渡辺一史の功績だ。 大泉洋主演なので単純なお涙頂戴の難病ものでないことは想像がつくが、予想を上回る鹿野さんの強烈な個性、自由すぎるキャラを、顔と手以外動かせないという演技上の制約の多い中よくぞ体現したものだ。 大泉のとぼけた味わいがはまっている。 邦画が避けがちな排泄や性欲にからむ問題も、うまく笑いに転化して描写していた。 高畑充希は割とイメージ通りの役。 愚痴をこぼしたり怒ったりもするけど、基本は優しくて頑張り屋。 カラオケに行くかもという展開で、朝ドラで披露した美声を聴かせてくれるかと思ったが、なくて残念。 三浦春馬の役は意外に複雑なキャラ。 たいてい素直で明るい青年のキャスティングだが、この役は一見好青年のようで実は…というのが面白い。 ネタバレ! クリックして本文を読む Amazon Primeでみました。 暇だったので、あまり期待せず観たのですが、観てよかったーと思いました。 最初は、ボランティアの人たちを横柄に扱う主人公に腹立たしくも思ったのですが、それは強く生きるため、自分が自分であるためにそうしているんだということが段々と分かってきて、どうして主人公の周りにはいつも人 ボランティア がたくさんいるのかわかる気がしました。 私も前向きに生きたいと思いました。 ちなみに、タイトルの意味は冒頭ですぐに謎が解けます。 観進めていくとそのイメージが覆り、感動に変わりました。 後半は泣いたり笑ったり、大変でした💦 あと、高畑充希さんの演技が最高でした!めちゃくちゃ演技うまかったです。 それも観て欲しいです。 大泉さんは言わずもがな、です。 ピッタリのハマり役だと思いました。 綾戸智恵さん、女優もいけるんだ!と新しい発見でした 私が知らないだけで他にも女優業もたくさんされてるならすみません…。 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved. 「ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷」 C 2018 Danger House Holding Co. , LLC. All rights reserved. 「ANNA アナ」 C 2019 SUMMIT ENTERTAINMENT,LLC. ALL RIGHTS RESERVED. 「ハリエット」 C 2019 Focus Features LLC.

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「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」 札幌ロケ地マップ・ロケ地写真・パネル展 in 札幌

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自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション! 重度の筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦たち約40名のボランティアの日常を描いた渾身のノンフィクション。 人工呼吸器をつけた病の極限化で、人間的自由を貫こうとした重度身体障害者と、さまざまな思惑から生の手応えを求めて介護の現場に集ったボランティアたち。 史上初、講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した大傑作ノンフィクションが、ボランティアの人々の後日譚を加え文庫化。 解説は山田太一氏。 【「BOOK」データベースより】 強烈なタイトルが印象的な本書。 また映画化が決まり、大泉洋さん、高畑充希さん、三浦春馬さんらが出演する映画は2018年12月28日からロードショーとなります。 僕は映画化が決まってから本書を読み始めたので、帯の大泉さんのひょうきんな顔を見て、きっとふざけた内容なのだろうと高を括っていました。 ところが、そこには筋ジストロフィーの鹿野靖明さんの戦い、それからそれを支えるボランティアの人たちの戦いが描かれ、まさしく戦場でした。 タイトルは実際に鹿野さんと鹿ボラの間あったエピソードの一つで、見ている方は面白い、けれど言われる当事者からしたら勘弁してくれよ、と言いたくなるようなエピソードです。 しかもこれは序の口に過ぎず、まだまだたくさんのとんでもないエピソードがたくさんあり、障害者に対するボランティアのイメージを大きく覆してくれます。 また、著者である渡辺一史さんが鹿野さんや鹿野さんのボランティアの方々(鹿ボラ)と真摯に向き合い、この現実とどう向き合うべきなのかと悩み、そこから答えを導いていく姿がとても印象的でした。 小説というよりは、鹿野さんの自伝のような作品になっています。 そのため、あらすじを説明するとなると難しくなってしまいますが、なるべく簡潔に本書の魅力や要点について解説したいと思います。 ネタバレになりますので、未読の方はご注意ください。 また、本書が出版されたのは2003年で、時代背景が今とはかなり異なるので違和感を覚える人もいるかもしれませんが、決して書き間違えではないのでご了承ください。 医療についても、現在とではかなり状況が異なっていますので、それを踏まえてこの記事をご覧ください。 Contents• 筋ジストロフィーとは 筋ジストロフィー(以降、筋ジスに省略)は、『遺伝子疾患』であることが明らかにされた疾患です。 ジストロフィンを作らせる遺伝情報(ジストロフィン遺伝子)はX染色体にあり、遺伝子異常のある女性(保因者)が、男児を出産した時、二分の一の確率で発症する『X染色体劣性遺伝』が原因といわれています。 女性はX染色体を二本持つため、片方が異常でもX染色体劣性遺伝は発病しません。 その代わりに保因者になります。 症状などによって様々なタイプに分類されますが、共通して次第に筋委縮と筋力低下が進行し、最終的には人工呼吸器などの力を借りないと生命を維持することすらできなくなってしまいます。 本書に登場する鹿野さんはベッカー型と呼ばれる筋ジスで、デュシェンヌ型に比べると発症時期が遅く、一般に予後が良いとされています。 また筋ジスは難病法における『指定難病』の一つとして、治療法の研究や医療費助成などが行われています。 さらに当時では考えられなかったものとして、iPS細胞による再生医療にも注目が集まっています。 もちろんすぐ臨床で使用できるわけではありませんが、近い将来、根本的治療法が確立されるのではと期待されています。 スポンサーリンク 暗い未来 ここからは本書の内容について。 作品内では、時系列とは関係ない順番で様々なエピソードが明かされていきますが、この記事では分かりやすいように順を追って説明したいと思います。 まずは鹿野さんの出生から筋ジスだと分かってからの変化についてご紹介します。 鹿野さんは生まれつき足が弱く、小学校に入学しても、遠足など長時間歩くと足が突っ張ったり、ふくらはぎが筋肉痛になることがありました。 しかし、この時点で両親の頭に病気という考えはなく、その理由の一つに鹿野さんの六歳下の妹・美和さんの存在がありました。 彼女は生後六か月で『点頭てんかん』を発症し、その発作止めの薬の副作用で、知能が未発達のまま成長しています。 そんな美和さんの入退院に両親は付き添っていたため、どうしても鹿野さんへの注意が怠ってしまいました。 鹿野さんが筋ジスだと診断されたのは小学校六年の時で、母親の光枝さんは絶望します。 当時、一般人にはあまり知られてなく、怖いイメージだけが伝わっていたため、当然のことといえます。 それから鹿野さんは室蘭市内の実家を離れ、国立療養所八雲病院(現・国立病院機構八雲病院)に入所しますが、そこで鹿野さんを待っていたのはおびただしい数の『死』でした。 建物の雰囲気は暗く、昨日まで苦しんでいた友人が突然いなくなるなど、『死』はとても身近なものでした。 さらにあらゆる制限が入り、鹿野さんはいつも『食べたい』『飲みたい』『ここから出たい』と思い、何度も脱走します。 成長すると、周囲の協力を得ながら自立生活を送り、結婚を果たします。 その後、ケア付き公営住宅の建設にこぎつけ、全てが順調にいったように思えました。 しかし、現実は甘くありませんでした。 鹿野さんは徐々に筋力が衰え、自然と介護に頼る部分が多くなっていきますが、雇われた介助職員のレベルは低く、そうなるとしわ寄せは妻に向かいます。 結局、このことがきっかけとなり、二人の心は離れて離婚。 さらに鹿野さんの心臓は弱り、人工呼吸器を余儀なくされます。 そうなると声は出せず、コミュニケーションをとるだけでも一苦労です。 人工呼吸器をつけられた自分を見て、『鎖につながれた犬だ』と鹿野さんは思います。 また、痰がたまると呼吸が出来なくなってしまうため、定期的にとってもらわなければなりません。 しかし、それでも『退院』したいという鹿野さんの意思は変わらず、鹿ボラの協力もあって無事に退院。 再度入院することもなく、自立した生活を送ることになるのでした。 施設を出て地域で生きる こうして自立した生活を手に入れた鹿野さんですが、生きていくためにはボランティアの手助けが必要不可欠です。 鹿野さんの一日には四人のボランティアによる三交代制をしく必要があり、夜は寝返りをうたせたり、痰を吸引するのに泊まっていく必要があります。 月のべ百四十人、年間のべ千四百六十人もの介助者を必要とし、鹿野さんはそれらを募集するために自ら街に出てチラシを配ったり、講演活動を行ってきました。 さらに集めるだけでなく、そのスケジュール管理を大事な仕事です。 ボランティア同士の相性もそうですが、新人・ベテランなども考慮しなければなりません。 さらに急用で欠員が出れば、自ら電話して代わりを見つけなければなりません。 しかも新人のボランティアを育てるのも鹿野さんの仕事で、学生が卒業すれば、新しく入ってくる人を一から教育しなければなりません。 これだけの努力の上にようやく成り立つ自立した生活は、まさに戦場だと思います。 スポンサーリンク 自由を勝ち取るバイタリティ ここまで書いた文章を読むと、鹿野さんに対して清らかで崇高なイメージを持つ人もいると思いますが、全くそんなことはありません。 普通の人のように、もしくはそれ以上に自分の要求をどんどん声に出します。 善意でボランティアをしている方からすれば、なんだこいつ、と思って離れていくことも少なくありませんが、それでも残り、鹿野さんと対等に接してくれるボランティアも多くいました。 障害者だから、文句を言ってはいけない、そんな常識を破るだけのパワーを鹿野さんは持っていました。 しかし一方で、繊細で弱い部分こそが本来の鹿野さんであり、病気によって困難が立ちふさがったからこそ強くなったという見方もできます。 健常者・障害者関係なく、鹿野さんという人物が非常に魅力的で、ボランティアに携わっている人や著者の渡辺さん同様、読者もまたその魅力に惹かれてしまいます。 夜中にバナナが食いたいからと介助者を起こすエピソードもそうですが、自慰したいからとAVを借りに行かせるその強い精神力に脱帽し、一方でそこは健常者と何も変わらないのだと妙な親近感を覚えました。 ボランティアの存在 本書には数多くの鹿ボラの対談内容が載せられていますが、これがとても興味深い内容になっています。 ボランティアというと、意識が高くていかにも善良な行いのように思えますが、ボランティアに参加する人の多くが何となくだったり、逆にボランティアにすがることで自分を保つような人が多くて驚きました。 性格も様々で、鹿野さんに対してポジティブとネガティブ、両方の感情を持ち合わせています。 しかし、彼のことを愛する気持ちは本物で、鹿ボラをやめた後も交流が続いてる人も多いといいます。 登場する鹿ボラが多いため、ここで紹介することは出来ませんが、ぜひ本書を読んで確認してみてください。 健常者も同様に悩み、その中で答えを見つけていくのだということが、よく分かる内容になっています。 スポンサーリンク 鹿野さんから得たもの そんな鹿野さんですが、二〇〇一年、四十二歳の時に亡くなってしまいます。 死因は拡張型心筋症(筋ジスによる二次性心筋症)による不整脈でした。 死ぬ際、鹿野さんは両親やボランティアにも立ち会わせず亡くなりますが、そこに彼の意思を感じると著者の渡辺さんは言います。 そして突然やってきた『死』を受け止め、渡辺さんはこれまで鹿野さんや鹿ボラの人たちと過ごしてきた二年四か月を振り返り、たどり着いたのはシンプルなメッセージでした。 『生きるのをあきらめない』。 そして、『人との関わりをあきらめないこと』でした。 最後に 本当は書きたいことが山ほどあるのですが、それを書いてしまうと、きっと本書のようなボリュームになってしまいます。 それくらい無駄な話なんて一つもなく、渡辺さんが見てきた鹿野さんや鹿ボラの人たち、それから鹿野さんと一緒に時を過ごした人たちの話でいっぱいの作品でした。 映画化されるということで、ぜひ本書に詰まったメッセージを損なうことなく、一人でも多くの人に届けばいいなと心から願っています。

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映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」/札幌市

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正しくうるわしく語られがちな障害者福祉という題材を、これほど自由に深々と考えさせるノンフィクションも、あまりなかっただろう。 2003年に刊行された渡辺一史さんの(北海道新聞社、のち文春文庫)。 わがままで強烈な重度身体障害者とボランティアたちの交流を描き、大宅賞・講談社ノンフィクション賞をW受賞した作品は、今なおロングセラーを続ける。 昨年末には映画化されて全国で公開中だ。 中高生向けに書かれた新著も出た渡辺さんに、〝反時代的〟とさえいえる丹念な取材で人間と社会の実相に迫ることを目指すノンフィクションの手法、試行錯誤の醍醐味と葛藤、時代観、そして今後の抱負を聞いた。 2回にわたり紹介する。 (聞き手・藤生京子 朝日新聞論説委員) 渡辺一史さん=撮影・横関一浩 渡辺 いい映画だと思います。 「障害者って何様なの?」といった発言があったり、チャリティー番組「24時間テレビ」的な、愛と涙の物語ではない、喜怒哀楽、ありのままの人間同士のせめぎあいが描かれていて、見る人に考えさせる場面がいくつもある。 大泉さんの存在が大きかったと思いますね。 原作やシナリオを徹底的に読み込んで独自の鹿野さん像を提出してくれました。 実在の鹿野さんとは似ても似つかないのに、同時に瓜二つでもあるという不思議なキャラクター。 こういう障害者が目の前にいたら、もうしょーがねえなあと観る人に思わせてしまうような説得力があった。 大泉さんとは「世界一受けたい授業」(日本テレビ、2018年12月29日放送)という番組の収録でもご一緒したんですけど、こんな話をしてくれたんです。 これまでは「自分の子どもにどんな教育をしますか」と聞かれたら、「人に迷惑かけないようにしなさい」とずっと言ってきた。 でも、この映画を通して、それは違うんじゃないかと思うようになった。 今後は「できないことは人に頼りなさい、でも人に頼られたときは、それに応えられるような人になりなさい」と言うと思う。 大泉さんの言葉は、長い時間をかけて障害者の人たちが訴えてきたことを、見事に言い当てていると思います。 そして自己責任という価値観を、障害の有無をこえてだれもが内面化させられた、今の時代を表してもいる。 人に弱みをみせられず、頼れずに、孤立してしまう風潮です。 障害者の人たちより、むしろ健常者のほうが、そういう規範に縛られていないでしょうか? 障害者や、鹿野さんの発するメッセージは、社会にとって、大切なメッセージを含んでいると思います。 映画は、きれいごとやタテマエに終わらない現実の一端を描きながら、社会に横たわる、この問題の中心部分をちゃんと伝えている。 うれしいですね。

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