北陸 本線。 北陸本線の歴史/柳ヶ瀬線/ループ線/IRいしかわ鉄道

北陸本線の歴史/柳ヶ瀬線/ループ線/IRいしかわ鉄道

北陸 本線

再現ダイヤ 537M 普通直江津行き 413系3両 運転区間:親不知-直江津 日中の普通列車です。 公開区間で退避はありません。 筒石や名立など標識作っていないせいで止めにくい駅があるので、 残り距離を表示して運転することをお勧めします。 1053M 特急「北越3号」新潟行き 485-1000系 or 485-3000系6両 運転区間:糸魚川-直江津 日中の特急列車です。 使用車両で2種類のシナリオを用意していますが、中身は一緒です。 例:動画サイトでURLリンクを貼る、まとめwikiに載せるなどはご遠慮ください。 問い合わせはメールでのみ対応いたします。 サハ209 wagashi. 209 gmail. com.

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北陸本線旧線(敦賀・今庄間 鉄道廃線跡)を走る

北陸 本線

北陸本線の運賃・路線図・時刻表 北陸本線とは 北陸本線とは、JR西日本が運行している、米原駅から金沢駅までを結んで走っている路線のことです。 この区間の営業キロ数は176. 6キロメートルほどとなっています。 JR西日本は、北陸3県と近畿地方・中国地方を中心に鉄道路線を持つJRグループの会社で、本社は大阪府大阪市にあります。 JRグループ内でのコーポレートカラーは青色となっています。 目次 北陸本線の運賃 JR各線の 大人(原則として12歳以上)の普通運賃は次の表のとおりで、距離に応じて金額が決まっています。 小児の場合は大人の料金の半額(5円の端数は切り捨て)になります。 ただし、JRの場合は他の私鉄各線とは違って運賃体系が複雑で、普通運賃の場合、JR東日本・JR東海・JR西日本(本州3社)と、JR北海道・JR四国・JR九州の各社でそれぞれ異なります。 2つ以上の旅客鉄道会社にまたがって利用する場合は通しで計算し、この場合は「基準額」のほかに「加算額」が発生することがあります。 幹線または地方交通線のみを利用する場合、東京・大阪の電車特定区間のみを利用する場合、山手線内・大阪環状線内のみを利用する場合でも、それぞれ運賃は異なります。 注意:下記の運賃表は 令和元年 2019年 10月1日消費税増税後の改定運賃を表示しています。 本州3社内の幹線の普通運賃表 (有効期間1日) 営業キロ (運賃計算キロ) 片道運賃 (基準額) 1から3キロ 150円 4から6キロ 190円 7から10キロ 200円 11から15キロ 240円 16から20キロ 330円 21から25キロ 420円 26から30キロ 510円 31から35キロ 590円 36から40キロ 680円 41から45キロ 770円 46から50キロ 860円 51から60キロ 990円 61から70キロ 1,170円 71から80キロ 1,340円 81から90キロ 1,520円 91から100キロ 1,690円 電車特定区間の普通運賃表 (有効期間1日) 営業キロ 東京 大阪 1から3キロ 140円 130円 4から6キロ 160円 160円 7から10キロ 170円 180円 11から15キロ 220円 220円 16から20キロ 310円 310円 21から25キロ 400円 400円 26から30キロ 480円 470円 31から35キロ 570円 560円 36から40キロ 650円 650円 41から45キロ 730円 730円 46から50キロ 820円 810円 51から60キロ 940円 940円 61から70キロ 1,100円 1,100円 71から80キロ 1,270円 1,270円 81から90キロ 1,450円 1,440円 91から100キロ 1,610円 1,610円 山手線内・大阪環状線内の普通運賃表 (有効期間1日) 営業キロ 山手線内 大阪環状線内 1から3キロ 140円 130円 4から6キロ 160円 160円 7から10キロ 170円 180円 11から15キロ 200円 200円 16から20キロ 270円 260円 北陸本線の路線図と時刻表 北陸本線の路線図や時刻表は、ダイヤ改定に合わせて定期的に出版されている「JTB時刻表」などの市販の時刻表から調べることができます。 その他、 JR西日本の公式ホームページにパソコン・スマートフォン・タブレット端末からアクセスして、時刻表や路線図を調べることもできます。 公式ホームページへのリンクは次のとおりです。 切符を紛失した場合 紛失したのが旅行開始の前か後かにかかわらず、 乗車券を紛失した場合には全額再度購入するのが原則です。 再発行の際、券面には「紛失再」の表示がされ、下車駅の精算所でも「再収受証明」がされますので、そのまま自宅に持ち帰れます。 もしも紛失したきっぷが発見された場合は、紛失再発行を受けた日の翌日から起算して1年間以内であれば、乗車券類1枚につき220円、指定席券類は330円の手数料を支払えば、再収受証明書に記入された運賃・料金の払いもどしができます。 ICOCA定期券 「ICOCA定期券」は、定期券ときっぷの機能を併せ持ったカードです。 チャージ(入金)しておくことにより、定期券区間外でも改札機にタッチするだけで乗車区間の運賃を自動的に精算することができます。 定期券の券面に書かれている区間から区間外に乗り越した場合や、定期券区間外の駅から乗車して定期券区間内の駅で下車した場合にも、駅にある自動改札機で自動的に精算できます。 JR西日本のモバイル専用アプリ JR西日本では、JR西日本管内の在来線(特急列車を含みます)および新幹線の列車の運行に関する情報を提供する スマホ用のアプリ「JR西日本 列車運行情報 アプリ」を無料でダウンロードできるサービスを行っています。 このアプリは公式ホームページのなかにあるリンクを通じて「App Store」または「Google Play」のどちらかからダウンロードすることが可能です。 アプリが持っている便利な機能としては、希望の路線を登録しておくと、登録した路線で列車の遅れなどが発生した際に、スマホ端末に運行情報がプッシュ通知される機能などがあります。

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北陸本線旧線(敦賀・今庄間 鉄道廃線跡)を走る 北陸本線旧線(敦賀・今庄間 鉄道廃線跡)を走る 北陸トンネルが開通する1962年6月10日までは北陸本線は敦賀(つるが)今庄(いまじょう)の間を山の中を通っていました。 それは勾配が1000分の25という鉄道にとってはかなりの勾配を,山の中をぬいつつ,ぬけていたのでした。 今でも北陸自動車道はこの間を山の中をぬい,しかも上下線が別ルートというように,やはり山越えの難所なのでしょう。 この,かつての鉄道が通っていた廃線あとを通り抜けてみました。 高速道路を利用すれば,あっと言う間に通り過ぎますが,時間があればゆっくり通り過ぎると,トンネルをくぐればまるで列車の運転席にいるような気分にさせられます。 また,なんといっても杉津(すいづ)からの日本海,敦賀湾の眺めが最高です。 高速道路でも杉津にパーキングエリアがありますから,そこから景色を眺めることができます。 このパーキングはぜひお立ち寄りいただきたい,おすすめの場所です。 (特に下り線,米原から金沢への方向)そこからの景色もこのページに登場します。 (左は北陸トンネル開通記念の急行券です。 ) 各ページには撮影地近辺の地図が掲載してあります。 まずは全体の地図をお示ししましょう。 (杉津から約7km沖合上空15000mから。 レンズは50mmの標準レンズ) では敦賀から 写真はクリックすると大きな写真となります。 また,次々と次のページに進むこともできます。 (写真撮影日 2000年8月27日) 敦賀市内から国道476号線を走る。 そして,まず国道8号線の下をくぐり,続いて北陸自動車道の下をくぐると,いよいよ山の中へと入っていく。 現在の北陸本線は木の芽川を渡って,すぐに北陸トンネルに入るのだが,旧線は川の右岸を山の中へと向かう。 木の芽踏切にて,今庄方向(下り方向),北陸トンネルの入り口を1枚撮影。 木の芽踏切から反対側敦賀方向(上り方向)。 上を通っているのが北陸自動車道。 このあたりから旧の北陸本線が分岐していたようだ。 木の芽川に沿って走る。 右に木の芽川がある。 今庄方向。 右の町は深山寺という町で,現在の北陸本線はすでに右の山の中の北陸トンネルを進行中。 北陸自動車道の上り線の下をくぐり,すぐに下り線の下をくぐり,またもや上り線の下をくぐって大きく右にカーブ。 ここで北陸自動車道は上り線と下り線が逆になり右側通行のような感じになる。 北陸本線の旧線は自動車道の下り線(今庄・金沢方向)としばし並行して走ると,いよいよ山の中へと入っていく。 そこにはまずトンネルが一つ。 国道は今庄方向のみの一方通行で,敦賀方向は山のすそをまわるように道が造られている。 上の地点で逆方向(敦賀方向)を見たのがこの写真。 北陸自動車道の下り線の下をくぐっている。 現在北陸道の橋脚補強工事中。 すぐその後にまたトンネルがある。 はじめのトンネルと同じように,今庄方向の一方通行。 こうやって木の芽川沿いにどんどん上っていく。 途中で振り返って敦賀方向を見たのがこの写真。 左下に木の芽川,右の山の中腹には北陸自動車道の下り線。 車で走ると,ひたすら上っているんだなあって感じである。 そして,左の山の中を北陸トンネルが通っている。 ほんの300mくらい離れているだけのはず。 しばらくすると,獺河内(うそごうち)の町,そしてそこに新保駅のあとがある。 右の車の止まっている広いところが新保駅のあと。 右に見える塀は北陸自動車道下り線。 ここに新保駅あとの記念碑が建っている。 なお新保という町はもっと山の中にある。 ここからは約3. 5kmは離れているだろうか。 あとで,その分岐点がでてくる。 新保駅あとの記念碑の下に新保駅構内の配置図が書かれている。 これはその部分の拡大。 新保駅あとを通り過ぎると,まもなく葉原の町が見えてくる。 ここで国道は右へ折れる。 標識には右は「新保2km」まっすぐは「今庄15km」と出ている。 北陸本線の旧線はこのまままっすぐ,国道と分かれ,県道となった道を行く。 しばらくは田んぼの見えるところを走るが,ここで少し北陸自動車道の上り線が見える。 左に土手があるのが北陸自動車道の上り線(敦賀,米原方向),右に並行して北陸自動車道の下り線。 右には下り線の「登坂車線」の標識が見えている。 いよいよ葉原トンネルが見えてくる。 手前の陸橋の向こうに入り口が見える。 この正面に見える山の下をくぐっていくことになる。 葉原トンネルは約1kmの長さがある。 この北陸本線旧線の多くのトンネルの中で,この葉原トンネルだけ信号機がついている。 待ち時間約5分。 青になってから写真を撮ろうと思って待っていて,1枚写真を撮ったかと思ったらあっという間に赤だった。 あわてて車を動かした。 葉原トンネルを出てから敦賀方向をふり返っている。 左上に見えるのが北陸自動車道下り線。 下り線も上り線もこの葉原トンネルに並行してこの山をトンネルでくぐっている。 真っ正面から見た葉原トンネル。 敦賀方向。 この後トンネルを2つぬけたら杉津駅あと(北陸自動車道上り線杉津パーキング)に着く。 1つ目は小さなトンネルですぐ向こうが見える。 左に見える街灯は北陸自動車道上り線のもの。 葉原トンネルから2つ目のトンネルをふり返って撮影。 このトンネルはちょっと長めでカーブしている。 トンネルの中に入って撮影。 杉津駅あとは現在北陸自動車道上り線(敦賀・米原方向)のパーキングとなっている。 しかし下り線(今庄・金沢方向)のパーキングがさらにこの上にあり,そちらの方が景色がとてもいい。 山の中で上下線が入れ代わり,右側通行になっている。 これは上り線パーキングの芭蕉の句碑。 「奥の細道」の中の敦賀での一句 「名月や 北国日和 定めなき」 である。 写真撮影 1998年秋 上り線が右,下り線が左というように上下線が逆になっている。 正面の方向が敦賀,右下に杉津の町がある。 パーキングをちょっと大きく撮影。 右側の上り線の自動車道の少し左に北陸本線の旧線のあとの道が見える。 また,中央にS字型に見える道は麓から上り線パーキングを経由し,下り線パーキングまで上がってくる道。 敦賀方向を撮影。 この林道は山中峠から山の中を通り国道365号線へと出る。 左側が杉津の町,右側が横浜の町。 上り線より下り線が眺めがよいので,下り線パーキングへと向かう。 北陸道下り線パーキングに着いて,まず一番に腹ごしらえ。 福井名物,越前そばをいただく。 この席は一番海よりの席で,この景色を眺めながら食べる越前そばがなかなかうまい。 窓際のテーブルにそばを置き,ガラス越しに1枚撮影。 中央に見えるのが杉津の町とその先の岡崎の鼻。 右に見えるのは上り線パーキングから下り線パーキングへの上り道。 下り線のパーキングには景色のよい展望場所がある。 パーキングの海寄りに休憩所もある。 このように見える景色の説明もしてある。 カメラを持ってうろうろしていると,そこで掃除をしていた女性に「いい写真が撮れましたか?」と声をかけられる。 「ちょっと今日は天気がよすぎて,遠くがかすんでますね。 」と答える。 「この間は,すごくきれいな夕日が沈みましたよ。 いつもここで仕事をしている私たちでも滅多に見ることのできないすばらしい夕日でした。 」とのこと。 「昔はこのあたりを汽車が走っていたんですね。 」と言うと, 「あの道が,線路のあとですよ。 それから下に見える上り線のパーキングのところが杉津の駅でした。 」と指さしてくれた。 この写真がその道である。 右の方に見えるのは自動車道のトンネルの入り口だ。 「どちらにお住まいなんですか。 」と聞くと,生まれは南条で,その後今庄に嫁いだとのこと。 「昔はねえ,汽車に乗って杉津まで海水浴に来たもんですよ。 」とのことだったので,思わず 「ここから海岸まで結構あるじゃないですか。 」と驚いて聞いてしまう。 「小さいころはそれだけ歩いても,海水浴が楽しみだったんですよ。 」 「この下に杉津の町が見えるでしょ。 真下は横浜です。 杉津は左の方。 」そう言って説明してもらう。 「杉津の町の左の方が海岸で,そこで泳ぎました。 」 今日はほんとに天気がよくてかすんでいる。 「そら豆をいってもらってね。 袋に入れて腰にぶら下げて出かける。 泳いでいるうちに皮がふやけてきて,ちょうどよくなったころに食べる。 」と思い出話を語ってもらう。 「泳ぎ終わって,3時頃にまた山を登ってきて,そして汽車で帰りました。 」とのことだった。 ここから杉津の海岸まで1. 5kmはあるだろう。 下りはいいとして,上ってくるのは大変だ。 「昔の汽車はねえ,機関車が1両だけじゃなくて,2つもくっついて,しかも前へ行ったり後ろへ行ったりしながらここへ上ってきたもんです。 」 「それから,トンネルがいくつもあってねえ。 トンネルをぬけて海が見えたかと思うとまたすぐトンネルで,そうやってこの杉津へたどり着いたもんです。 」 確かに,今庄からこの杉津まではたくさんトンネルが連続している。 この写真は少し拡大してみた昔の線路あとだ。 最後に再び上り線のパーキングを撮影する。 このあたりが駅だったのだなあと考えると,ここは本当に景色のいいところだったのだ。 「おばちゃん,ありがとう。 」と言って別れる。 「はい,気をつけて。 」と見送られる。 本当はこの人しっかり福井弁でしゃべってくれたのだが,うまく表現できないのであしからず。 しかし,こうやって歩いていると,このような人とのふれあいがあるのが楽しい。 再び下って,上り線のパーキングの下をくぐり抜け,旧線のあとへと出る。 福井県の県道207号線,今庄杉津線ということになっている。 この後山中峠の下の山中トンネルまでトンネルを6つほど抜けることになる。 一つ目の第一観音寺トンネルは短い。 本籍地が京都の私は,小さい頃の夏,何回かここを通ったはずだ。 しかし全く記憶にはない。 第二観音寺トンネルは右へカーブ。 そのころ車のなかった我が家は,金沢から京都は丹後へと向かうのに,汽車を使い,敦賀までは北陸線を利用していた。 当然のことながら,今庄から敦賀まで,この山の中を通ったはずだ。 かすかな記憶では,トンネルを通るときには窓を開けてはいけないと言われていた。 それがここのトンネルだったわけではないだろうが,小さい頃の記憶だ。 続いての曲谷トンネルは左へとカーブ。 金沢から丹後までは結構長い道のりだった。 その途中,小さい頃の私はここからの景色を見て何を考えていたのだろう? トンネルを抜けるといきなり海が見えてきたりする。 こんな風景はとっても子どもの喜びそうな風景だ。 (って,自分だけ?) 左かすかに,杉津の町の岡崎の鼻が見えている。 だがこの風景もつかの間,次のトンネルへとはいる。 芦谷トンネル,そして伊良谷トンネルを抜けると最後にかなり長い山中トンネルへとたどり着く。 山中トンネルを抜けて,ふり返って敦賀方向を見ている。 これから先今庄まではトンネルはない。 少し今庄方向へ下ったところに林道の入り口がある。 右の道が北陸本線の旧線だ。 ここには「ふるさと林道 山中〜大谷線」という案内(左)と山中峠の看板が旧線寄りに立っている。 そこには山中峠の由来が次のように書いてある。 山中峠 古くから奈良・京都から北陸・東北に入る北陸道は,この山中峠(標高389m)を越えた。 奈良時代には,近江から野坂山地を越えて松原駅(現敦賀市)に達した北陸官道は,樫曲・越坂・ウツロギ峠へと小坂を登り降りし,五幡(いつはた)・杉津を経て大比田・元比田へと進み,山中峠を越えて鹿蒜(かひる)駅に達した。 この駅は旧鹿蒜村大字帰(かひる)(現南今庄)に比定されている。 このことは大伴家持の歌に 可敞流廻(かへるみ)の道行かむ日は五幡の 坂に袖振れわれをし思はば (万葉集巻十八) によってうかがえよう。 「可敞流」は鹿蒜川流域の地のことであり,山中峠越えを五幡越えといったと考えられている。 また,山中峠から木ノ芽峠一帯の山並みを「かへる山」として,古歌が数多く詠まれている。 平安初期の天長7年(830),木ノ芽峠越えの新道が開かれた。 この道は国府(現武生市)への直線に近い峠であったので,このコースに北陸道は移ったものの,山中峠越えはその後も引き続き利用された。 平成10年4月 万葉の道辺を探る会 このように落石覆いがそのまま残っている。 線路を敷けばいつでも列車が走るという感じだ。 下っていくと大桐の集落が見えてくる。 敦賀方向をふり返って眺めている。 大きくカーブする土盛り。 ここを峠を目指して汽車が登っていったのかと思うと,なかなか感慨深いものがある。 大桐の集落を過ぎたあたりに大桐駅あとがある。 ホームがそのまま残っているかのような部分である。 「大桐駅跡」という碑の裏には大桐駅の経歴が以下のように書いてある。 大桐駅の経歴 明治43年3月31日,北陸線の難所といわれ,山中トンネルを頂点とした1000分の25の勾配を有し,列車運転の緩和とスイッチバックの拠点として大桐信号所が開設された。 その後地元の要望に応え,同年6月1日停車場に昇格し,旅客,貨物の取扱営業を開始した。 当時,旅客7本,貨物6本,計13往復の列車が運行された。 昭和37年6月9日,北陸本線複線電化の近代化により,新線開業と共に廃止となる。 その間54年の永きに渡り,生活物資の輸送等,住民のシンボルとして大きい役割を果たした。 北陸自動車道の下をくぐりしばらく行くと,上新道の集落になる。 そこには木ノ芽峠への分岐点がある。 ふり返って敦賀方向を見ている。 遠く後ろに北陸自動車道が見える。 左(敦賀方向からは右)に入っていくと木ノ芽峠である。 またそれは新保の町へと続く道でもある。 いよいよこの小さな旅も終わりとなる。 下新道の集落のはずれに北陸トンネルの今庄側の入り口がある。 左端に少し見えるのが北陸トンネルの今庄側の入り口である。 最後に南今庄駅の前あたりにこの鹿蒜地区の案内図があったので撮影してきた。 敦賀からこの南今庄まで,20km近くのみちのり,撮影しながら約2時間の小さな旅であった。 にもどる おたよりはをどうぞ Prince Kochan's Productionのにもどる このウェブページの地図の作成に当たっては,国土地理院長の承認を得て,同院発行の数値地図200000(地図画像),数値地図50000(地図画像),数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平22業使,第251号).

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